フランケンシュタイン

2021年05月03日 月曜日

ジェイムズ・ホエール監督、コリン・クライブ主演の1931年の映画「フランケンシュタイン(Frankenstein)」

男爵家の息子ヘンリー・フランケンシュタインは死んだ生命の復活や生命創造の研究に取りつかれ、死体を盗み出し繋ぎ合わせて嵐の雷を利用して生き返らせようとしていた。
ヘンリー・フランケンシュタインの婚約者エリザベスはヘンリー・フランケンシュタインを心配し、友人のヴィクター・モーリッツに相談し、ヘンリー・フランケンシュタインを大学で教えていたウォルドマン教授と共に三人でヘンリー・フランケンシュタインの下を訪れた。
三人の目の前でヘンリー・フランケンシュタインは死体を生き返らせたが、生き返ったのは力は強いが知能は低く暴力的な怪物だった。
やがて怪物はヘンリー・フランケンシュタインの助手を殺して逃げ出し、結婚式を準備しているヘンリー・フランケンシュタインとエリザベスの屋敷に現れ、村の子供が殺された事で村中が怪物狩りを始めた。
風車に上った怪物は村人が放った火によって焼け死んでしまった。

フランケンシュタインの怪物は後にロバート・デ・ニーロが演じた1994年の「フランケンシュタイン」も見たし、色んな人がフランケンシュタインの怪物を演じているけれど、わたしは知識として何処かでフランケンシュタインの怪物はボリス・カーロフと刷り込まれているので一度は見てみたかった映画だったし、フランケンシュタインの怪物はこの映画でスターとなり、この映画でボリス・カーロフが演じたこのフランケンシュタインの怪物が後のフランケンシュタインの怪物像を形作り、様々な事物に影響を与えたと知ってはいて、この映画が歴史的な映画だと分かって見たんだけれども、それらを差っ引いてもそれでも結構酷く、特に脚本が酷かった。

始まりのヘンリー・フランケンシュタインが死体集めをする所やエリザベスとヴィクターの説明場面が結構退屈なのは1931年の映画だからなのかと思って見ていたけれど、このヴィクターがずっと良く分からないまま。
ヴィクターに関する説明がほぼなく、何者で、誰と何の関係があるのかさっぱり分からないままで主要人物として進んで行くので、ずっとモヤモヤ。
ヴィクターは主要人物だったはずなのに怪物が村にやって来てからは急に全く登場しなくなり、何処で何をしていたのかも説明されないまま完全に忘れられた存在となって映画は終わってしまう。
序盤のエリザベスとヴィクターとの会話で、エリザベスがヴィクターに対して少し思わせ振りな感じを見せるから、ヘンリー・フランケンシュタインとエリザベスとヴィクターとの間の今までの関係が何かあるのかと思っていたけれど、そこも何も描かれず全く無いまま。
このヴィクターって全くいらない人物なんだけど、存在理由って何なの?

怪物の誕生も良く分からない事が多く、てっきり死体を繋ぎ合わせて死人を復活させるのかと思ったら、ヘンリー・フランケンシュタインは紫外線よりも更なる光を発見し、その光は生命を生み出すという話を始めて頭がこんがらがってしまった。
怪物の首元に鉄の杭みたいのが刺さっているので、そこに雷の電気を通すのかと思いきや、死体に雷が直撃した様子は無いし、ヘンリー・フランケンシュタインの話だと雷の光に当てているだけなの?で何が行われたのか分からずでモヤモヤ。

いよいよ怪物の手が動き出してどうなるの?!で、ここは緊張と興奮が盛り上がって次の場面で恐怖の怪物を見せるのかと思いきや、次の場面ではエリザベスとヴィクターがヘンリー・フランケンシュタインの父親を説得する場面になって急転直下の落ち着かせ。
見せないのかよ!で気が抜けてしまったけれど、この場面も良く分からない。
死体を生き返らせた狂気のヘンリー・フランケンシュタインに対するエリザベスとヴィクターの反応が全く描かれておらず、何故二人はヘンリー・フランケンシュタインを庇って父親をなだめているのかが不明。
ヘンリー・フランケンシュタインは婚約者の事など構わずに死体を繋ぎ合わせて生き返らしているという非常にグロテスクでヤバ過ぎる事に没頭しているんだから、エリザベスは引いてしまってヘンリー・フランケンシュタインから離れようとすると思うのに、何故か庇う。
ヘンリー・フランケンシュタインの父親が男爵で金持で市長が会いに来る有力者として描かれたのを見て、エリザベスはヘンリー・フランケンシュタインの財産目当てでとにかく結婚する為に庇っているんだとわたしは思ってしまったのだけれど。

復活?誕生?した怪物をいよいよ見せる場面では、扉が開くと何故か後ろ向きに部屋に入って来て、振り向いて顔を見せるという余りに不自然な行動。
怪物の顔を衝撃的に見せる為の演出なんだろうけれど、扉の向こうが暗くて怪物の姿が闇の中ので見えず、部屋に入って来ると光が当たって顔が見えるでいいじゃん!と思うのだけれど、何故こんな不自然な演出になったのだろうか?

怪物は初めは巨体だし、死体だしでゆっくりと動いていたのに、攻撃を始めると急に素早く動き出し、その後もゆっくり動いていると思ったら素早く動くし、怪物の動きが最後まで定まらず。
これって、何かの意図がある動きなのか、単にボリス・カーロフの演技が下手なだけなの?

怪物の設定も、怪物はどうやら敵意のある相手だったので攻撃したっぽく、少女に対しては一緒に花を湖に投げて遊んで、その遊びのまま少女も投げ込んでしまって驚いて困ってしまっているので、どうやら怪物は子供の様なまだよく分かっていないという存在に思えたけれど、初めに助手が間違えて犯罪者の脳を持って来てしまい、そうとは知らないヘンリー・フランケンシュタインがその脳みそを使ったと出て来て、犯罪者の犯罪衝動や犯罪行動の習慣があっての殺人という様な設定もある風なのにここには一切触れられずなので、この犯罪者の脳を使ったからは寧ろ邪魔だし、意味が無いような気がした。

それに何で怪物は村までやって来たのか?
何故フランケンシュタイン家までやって来て、エリザベスを襲ったのか?
最終的に何故ヘンリー・フランケンシュタインを殺そうとしたのか?とかの怪物の行動に関して説明がなされないので、結局怪物をどういう存在として描きたかったのが良く分からないまま。

それまで普通にしていたエリザベスが理由も無く急に不安を口に出し始め、理由も分からないままに怪物に襲われるし、少女が溺れ死んだ時に父親は怪物が少女を湖に投げ込んだ姿を見た描写は無いのに父親は殺人だと断定し、犯人は村人が誰も見ていない怪物っぽくなり、ヘンリー・フランケンシュタインも村人に怪物の事を伝えずに皆で誰とも分からぬ犯人を捜し始める所は説明不足過ぎて、皆誰を探しているの?状態で置いてけ堀。

ヘンリー・フランケンシュタインが怪物に捕まって風車からぶん投げられ、風車の羽にぶち当たってそのまま地面に落下して、完全にヘンリー・フランケンシュタインは死んだ!と思ったら生きているという、どう見ても死んだろう!なのに無事なので無茶な展開。
そのまま主人公のヘンリー・フランケンシュタインが話す場面は無いまま、何故か父親が家と息子の健康を祈ってワインを飲む姿で終わって、めでたしめでたし…らしい訳の分からないお終い。
この最後には何じゃこりゃ?

この序盤はやたらと説明場面ばかりなのに、中盤以降全然説明が足りないし、訳の分からない展開が多くて脚本が本当に酷過ぎる。
これって1931年の古い映画だからか…と言えば全くそうではなく、この一年後の1932年の映画「グランドホテル」は非常に良く出来ている事を考えると、やっぱり単に脚本が酷い。
それとも結構各場面での説明している部分は撮影はしていたけれど、編集でカットしたのでよく分からなくなってしまったのだろうか?

あと、セットも不思議なチグハグ感。
始まりの掴みである墓場の場面や、終盤のヘンリー・フランケンシュタインと怪物が対峙する盛り上がる場面のセットは壁がすぐ後ろにある妙に狭い場所で安っぽく見えるのに、屋敷の廊下はやたらと天井が高く豪華でそこは大きい必要ある?と感じてしまうし、ヘンリー・フランケンシュタインの研究場所も天井まで10m以上もあって、セットの統一感とか関係無かったのだろうか?

この映画、ボリス・カーロフのフランケンシュタインの怪物を見る為や、その後のフランケンシュタインの怪物や影響を与えた物々に対してオリジナルを見てみるという意味で見るなら価値はあると思うけれど、一作の映画としてみると説明不足で意味不明な事が多過ぎる酷い脚本で、何だか良く分からない映画。

☆☆★★★

この「フランケンシュタイン」はパブリックドメインになっていてインターネット上で見られる様。
 
 
関連:フランケンシュタインの花嫁

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