大魔神逆襲

2017年10月13日 金曜日

森一生監督、二宮秀樹主演の1966年の映画「大魔神逆襲」。
シリーズ三作目。

武将の荒川飛騨守は隣の国の木こり達を捕まえ、火薬を作る為の硫黄採掘場で無理矢理働かせていた。
その採掘場から逃げ出した一人が自分の村へと帰り着き、村人に事情を話すと、木こりの幼い息子達が親を助け出そうと子供達だけで魔神の山を越えようとする。

二作目の「大魔神怒る」が録画失敗していたので、一作目の次に見たこの三作目。

この大魔神シリーズは一作目の「大魔神」もそうだったけれど、大魔神が現れてからの特撮が見事ではあるんだけれど、そこまでの話が退屈で、この「大魔神逆襲」は更に大魔神までの話が退屈でつまらなかった。

確かに山等の風景は美しく、その外での撮影は抜群に画力があるけれど、子供達の冒険話はのっぺりとして盛り上がりが無く、子供達の会話劇がおもしろいはずもなく、結局大魔神がどうにかすると分かり切った展開なので木こり達を子供達が助けるなど微塵も思わず、「さっさと大魔神を出せ!」とばかり思ってしまう。

その大魔神も出現理由や行動原理がいまいち分からない。
魔神を信仰している村人が死んでも大魔神が出て来る訳でもなく、子供が身投げしたから出現したのか、魔神の使いである鷹が撃ち殺されたから出て来たのかが曖昧で、子供を苦しめたから武将を配下まとめて皆殺しにしたのかもいまいち分からない。
子供達を鷹であったり大魔神本人が助けたりするんだけれど、何故子供達を助けるのかは分からず、一方で川で流された子供は魔神も鷹も全くの見殺しだし、そもそも魔神の山に子供が入り込んでもそっちを問題にせず、大人なら無断で山に入った罰で殺されるかもしれないのに何故子供だと大丈夫なの?
一作目の自然の象徴とした怒れる神だった大魔神が安っぽい子供の味方の大怪獣みたいな扱いになっている様にしか思えなかった。
ただ、子供達が主人公であり、子供達の冒険なので子供向け映画に思えたけれど、あっさり子供が死んでしまうし、親も簡単に殺されるし、怯えていても次々と多くの敵を殺して行く大魔神とか結構陰惨な話だったりもして、何処を狙っての映画なのかいまいち分からない方向性。
大人向けだった一作目を特撮映画という事で子供向けを狙った為に方向性が変な向きに曲がってしまった感じばかり。

話は退屈だし、?も多いけれど、映像は流石。
当時の映画の力が発揮され、ロケーションでの山や自然の景色は抜群に良いし、セットも屋外セットも屋内セットもお金と手間がかかっているだろう凄さと美しさ。
特に雪は良く出来ているなぁと感心。
大魔神出現後のセットの破壊も見ていて楽しいし、出来栄えが素晴らしいし。

シリーズ二作見て興味が行ったのは、日本各地に大魔神の像があるという世界観。
埴輪っぽいので相当昔から祭られていたのだろう魔神が幾つも日本中にあり、それが怒って出現して人々を困らせたり助けたりと、日本の宗教観を具現化した様な大魔神で幾らでもシリーズが続けられるというやり方もおもしろかった。
ただ気になったのは、毎度毎度大魔神が出現して破壊が満足したら魔神像が粉々になってしまうのだけれど、粉々になっても元々像があった所には像が戻っているのだろうか?
粉々になっているのであれでお終いだと思うけれど、そうなると魔神の怒りって一回だけの使い捨てで、魔神の本体?はどっかに行ってしまうという事なんだろうか?

この映画、本来はもっと続編を作る予定だったらしいけれど、赤字でシリーズ打ち切りになったのも分かる。
子供向けなのか大人向けなのか中途半端な作りと、毎度人々が酷い目に合い続けてからの大魔神の登場という使い回しの展開なので既に三作目で飽きられたという事だろうし、何より大魔神が出て来るまでが退屈なのでもっと色々工夫すべきだったと思ってしまった三作目。

☆★★★★
 
 
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