郵便配達は二度ベルを鳴らす(1946年)

2017年04月08日 土曜日

テイ・ガーネット監督、ラナ・ターナージョン・ガーフィールド出演の1946年のアメリカ映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice)」。
ジェームズ・M・ケインの小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が原作。

風来坊のフランクは辿り着いた町外れのレストランで職にありつけた。
店の主人ニックと歳の離れた若い妻コーラの二人でレストランを営んでいたが、フランクは妻のコーラにちょっかいを出し始め、やがてコーラもフランクになびき始めた。
コーラとフランクは邪魔に思い始めたニックの殺害を計画し始める。

この映画、1946年だからか結構付いて行けない部分は多いし、映画としても結構退屈。

そもそもの部分として、何故コーラがここにいるのか?とか、何故フランクに惚れたのか?とかの描写が少ないのでサスペンスになる以前から結構付いて行けない。
コーラ役のラナ・ターナーは、2010年代の日本人のわたしから見ると綺麗なのか?そうでもないのか?がいまいち分からず、「彼女が映る場面では紗がかかる」「それ程高級ではないレストランなのに何時も綺麗な違った服を着ている」とかの記号でコーラが美人なんだなぁ…とは認識しているけれど、だったらこれまで相当モテたとコーラ自身が言っているにも関わらずレストランにはコーラ目当てのお客が一切いないし、大して金を持っていないニックと金目当てと言って結婚している意味が分からない。
フランクも演じるジョン・ガーフィールドは見た目がショーン・ペンっぽくて、ショーン・ペンって男前と言うよりも演技派・個性派俳優だと思っているけれど、そのショーン・ペンっぽいフランクが何でコーラにモテたのかがいまいち分からない。ジョン・ガーフィールドって、この当時は相当男前俳優だったの?だからコーラが惚れるのも当然なのか、ニックに飽きていたり、どうしようもないレストラン生活に飽きていたので異質なフランクに行ってしまったのかと思うけれど、そういう描写も無いし。
主人のニックも若い奥さんがいるのに、どこぞの馬の骨とも分からないフランクを何の質問も無いままあっさり雇ってしまうのも分からない。てっきり、若い奥さんとフランクが何かするのをこっそり見たいという性癖だからだと思ったらそう言う事も無いし、本当にただ人が良いだけ。奥さんの事愛しているなら、そんな不用心な事しないだろ…。

事件に発展するまでの設定や展開がそこに持って行きたいが為の都合の良さがあるけれど、その後のコーラとフランクの引っ付いたり離れたりの繰り返しも何がそこまで気を引き、逆に気持ちが引いたのかの描写が少ないので付いて行けず、これも展開の為の都合を感じてしまった。

夫殺しの展開となり、そこらへんから少し話が盛り上がるけれど、てっきり「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という題名なので、「夫殺しは完全犯罪だったと思ったら、実は誰かが知っていて郵便物で二人を脅し始める…」みたいな展開になるのかと思いきや、急に法廷モノになって意外。
ただ、意外にこの法廷モノが結構おもしろい。
何とかコーラを有罪にしたい検事と、上手い事やって二人を救おうとする弁護士という対決になる。
この対決はおもしろけれど、良く考えるとコーラとフランクは脇役に落ちるし、急に出て来た弁護士が立ち過ぎてこの弁護士が主役になってしまうし、「何の映画だったっけ?」と思ってしまった。
この弁護士の動機も、見ているだけだと検事にぎゃふんと言わせたいだけで犯罪者を無罪放免にしているし、この弁護士が脅しに来るのかと思いきやそれも無く、ただただ検事をやり任したいだけという妙に薄っぺらい人物になっているし。弁護士出して検事との関係性を詳しく描いていないので何か分からない奴で終わってしまっているし。

それに終盤で行き成りの事故からの取って付けた様なフランクだけが勝手に納得する全部台詞だけによる「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は白けたし、強引な展開でもキリスト教的救いなら問題無しというアメリカ映画には辟易するし、おもしろかったのは法的劇だけだったかもしれない。

この映画、1946年の映画とは言え、前半のコーラとフランクの不倫話は緩慢なのに描写が足りず、一番盛り上がった法的劇は弁護士が主役だし、最後の強引なまとめに至るのはやっぱり付いて行けず、おもしろくはなかった。
原作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は読んだ事ないけれど、原作の筋を所々省いてそのままなぞっただけの様に思え、原作を読んだ方がもっと納得出来る様な気がした。
それにこの映画含め、全部で四回映画化されている様なので、他の映画見た方がおもしろいと思う様な気がする。

☆☆★★★

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