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ハウス・オブ・カード 野望の階段

2017年01月09日 月曜日

アメリカではNetflixが独占配信する為に制作したインターネットドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段(House of Cards)」。
イギリスのBBCで1990年に放送されたテレビドラマ「House of Cards」が基となっている。

アメリカの下院議員で院内幹事のフランシス・アンダーウッドは新たな大統領ギャレット・ウォーカーの下で国務長官に指名されるはずだったが、その約束は突如別の政治家の指名により反故にされてしまう。
野心家で出世欲の塊のフランシス・アンダーウッドはあらゆる人脈を使い、陰謀を巡らせて他人を陥れ、自分の閣僚入りを目指す。

日本でもNetflixでの配信ドラマだけれど、わたしが見たのはBSフジでシーズン1から始まったから。
しかし、不可思議なのは、何でNetflixオリジナルドラマをBSで放送するんだろうか?しかも、このBSでの放送の提供にはNetflixが入っていて、宣伝でNetflixでの配信を宣伝しているし、更にはこの放送を見逃してもフジテレビオンデマンドで配信されるというのだから、もう訳が分かんない…。
このドラマがアメリカのNetflixで製作される、開始されるというのは結構大きな話題になってわたしも知っていたし、Netflixとしてもこのドラマは自分の所の目玉商品なはずなのに、それをNetflix独占じゃあないというのは、日本でのNetflixの加入者数が思ったよりも少ないのでBSから新規加入者を引っ張って来ようと言う事なんだろうか?
更に不思議なのは、調べてみるとこの「ハウス・オブ・カード 野望の階段」って、日本ではまず初めにNOTTVとかIMAGICA BSで配信、放送され、本家のNetflixでは配信されずに2016年3月になってからようやく全シーズン配信を始めたという、訳の分からない戦略。日本でのインターネット動画配信って、権利関係だの、身内での持たれ合いだのでグチャグチャし過ぎ。
わたしはテレビドラマはBSの無料放送だけで十分と言うか、それだけでも毎週結構追い立てられる様に見ているのでNetflixを契約する気は全然無いけれど、こんな戦略で日本で大きくなるのか?と非常に疑問。

さて、ドラマの内容の方だけれど、デヴィッド・フィンチャーが製作総指揮・監督、ケヴィン・スペイシー製作総指揮・主演という大きな看板があるし、Netflixの独自ドラマの目玉ともあれば非常に期待して見たのだけれど、これがあんまりおもしろくなかった。

内容もあるけれど、大きな理由は二つ。ケヴィン・スペイシーとメタ・フィクション。
ケヴィン・スペイシーはわたしは以前からねちっこい濃いスケベそうな顔面が理由なのかははっきりしないけれど何か好かない役者で、このドラマでの野心家でいけ好かない人物としてはぴったりとは言え、ずっとケヴィン・スペイシーを見ていると胃もたれや二日酔い状態の様なムカムカ感が出て来て、段々見るのが億劫になってしまった。
その上、ケヴィン・スペイシーの日本語吹き替えが石塚運昇と言うのが見る気を大きく削ぐ。
石塚運昇の吹き替えって、わたしが一番良く聞いたのは「CSI:マイアミ」でのホレイショ・ケインなんだけれど、このホレイショ・ケインという役は原語では非常に慇懃無礼で非常に抑えた感じで喋る役だったのに、吹き替え版ではやたら高圧的で俺様凄いんだぞ!感が前面に出てしまう明らかに改悪した過剰演技で、見れば見る程この俺様感に嫌気が差し、シリーズの終盤まで来たのでしょうがないから流し見で続けて何とか最後までを目指して見ている状態だったので、今では石塚運昇の印象が悪い悪い。
その苦手なケヴィン・スペイシーが石塚運昇の声で喋るんだから見ていて早々と苦痛になってしまっていた。

それにケヴィン・スペイシーが視聴者に語りかける演出も一話目からうっとおしかった。
元々わたしは映画でもドラマでもナレーションで状況説明や人物の心理描写をやってしまうのが嫌いなのに、このドラマではそれを頻繁にやられるのできつい。
政治の複雑な状況説明や人間関係をその場でお手軽に説明出来てしまって良いのかもしれないけれど、今まで登場人物達と会話劇をしていたケヴィン・スペイシーがそのままカメラ目線で視聴者に語りかけるって、「このドラマは作り物のドラマでしかないんですよ。」と強く思わせるだけ。
しかも一話の中で頻繁に語りかけるので折角現実味を持った硬いドラマとして見ていたのに度々嘘の作り物を意識させるだけで、演出として間違っている様な気がした。
まだコメディならこの演出も笑いになるのに、何でこういうただでさえ現実と乖離があると白けてしまう様な硬いドラマでこれするの?
特に大統領就任式典では現実感を出す為に大勢の人が大統領の方を向いているというのを遠景で撮り、まるで実際のニュース映像的に見せているのに、ケヴィン・スペイシー一人だけその方向とは違うカメラ目線になり、手をこっそり振るとか、もうこれは見ていて白けまくってしまい、わざわざ現実味を削ぎまくって何がしたいんだろう?と思ってしまったし。
この演出が「どう?洒落ているでしょ?」感が鼻に付いて仕方ない。

ドラマの内容的にも、始めは「おもしろいかも?」と思っていたのが二話目にして「つまんない…。」になってしまった。
そもそもわたしは現実の日本の政治でもそうだけれど、テレビで流れるのは「今この様な法案が出ていて…」とか、「この法案のここがおかしいと野党が追及して与党はそれに対して…」とかの生活に関わる実際の法案の詳しい内容や審議よりも、「この政治家がこんな事言いました!」「この政治家が過去にこんなちょろまかす様な事していた事が分かり、進退問題に!」とかのどうでも良い話が大きく取り上げられる事が非常にしょうもないと思うし、その政治家の失言ではその政治家の本音が見え透いているのに取り繕えていない取り繕いで「こんなのが政治家なのねん…」とイライラするだけなので、今ではほぼ報道バラエティさえ見なくなってしまったので、このドラマでも「こんな事言った、言っていないで辞任」「責任取って辞任」とかが全然おもしくない。
しかも、この微妙な発言で進退が変わってしまうという微妙な部分や、入り込んだ人間関係を使って細かい部分での権力闘争を見せているのに、現実のアメリカの政治では好き放題に無茶苦茶な発言や、平気で差別発言する大金持ちの政治家素人じいさんが大統領になってしまうのだから、このドラマがよりただの作り物感しか感じられず、ドンドンと興味が失せてしまった。
現実が茶番みたいだと思ったら、現実味のある政治ドラマは本当に茶番にしか感じられないしなぁ。
フィクションのドラマなので細かい事を積み上げて行って主人公の思った通りの筋書きになる展開は分かるけれど、現実のアメリカ国民の反応がドラマの制作陣が思った以下のコメディドラマみたいな感じになってしまったので、このドラマに限らずホワイトハウス関連の政治ドラマって、これから作り難くなるんだろうなぁ。

人物描写に関しても、フランシス・アンダーウッドはやたらと野心が強いけれど、それ以外の感情が見えて来ず、権力欲バカを延々と見せられても主人公としてピンと来ないしおもしろくはないし、周りにいる奥さんや若手の新聞記者もやたら野心が強いだけで何を思って行動しているのが見えて来ず、神様の脚本家が糸を引いて全ての人間を操っているという都合のいい展開しか見えて来ないし。

何より、そもそもフランシス・アンダーウッドは確実に国務長官になれると思っていたのに、自分よりも能力が劣っていると思い見下していた人々にあっさりと国務長官の約束を破られてるじゃん…という間抜けな前提があるので、フランシス・アンダーウッドが全ての人間を上手い事操り、自分の思い通りに事を進めるトンデモない凄い奴的な描かれ方をしていても、まあ嘘臭いと言うか、だったら初めから何で根回ししていないの?と思うし、始めの設定とその後の展開が全然上手く組み合わさっていないじゃん!と思ってしまい白けたし。

結局シーズン1の最終話まで見たけれどおもしろいと思う事も無いまま。
早い段階から流し見だったので、もっと早くわたしが打ち切っても良かったかもしれない。
 
 
関連:前期見たテレビドラマは「ER」4・5

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