トゥモロー・ワールド

2016年08月05日 金曜日

アルフォンソ・キュアロン監督・脚本、クライヴ・オーウェン主演の、2006年のイギリス・アメリカ映画「トゥモロー・ワールド(Children of Men)」。
P・D・ジェイムズの小説「人類の子供たち」が原作。

西暦2027年。人類の誰一人として子供が出来なくなってから18年が経っていた。
イギリスでは不法移民の排斥を強行に行っていた。
エネルギー省に勤めるセオ・ファロンは元妻から一人の不法移民の女性を移動させる為に、セオ・ファロンの伝手を頼り通行証が欲しいと頼まれた。セオ・ファロンは通行証を手に入れて届けるが、元妻は何者かの襲撃に会い死亡。元妻は反体制派集団のリーダーであり、セオ・ファロンはそのまま反体制派の監視下に置かれる。
そして、セオ・ファロンは通行証が必要だった女性が子供を身ごもっていた事を知り、彼女の為に行動し始める。

原作小説は読んだ事無いけれど、色々調べていたら大分小説と映画は違うらしく、この映画は映像的はあるけれど話や展開は終始フワフワして掴み所が無く、わたしの中で常にピンと来ないままで進んでしまった。
一番大きな理由として、基本的な設定の「子供が生まれなくなった」と「社会が混乱している」という二つが特に融合する事も無く、結局どちらも見せたいけれどどっちつかずな感じで、全く別々の二つの軸を入れている事が釈然としないままだったから。
「子供が生まれなくなった」は特に理由も原因も深く表されないのでSFと言うよりはファンタジーであるにしろ、まあそういう舞台設定で、中盤以降のキーと赤ん坊を守るという展開の為と言う事で分かるにしろ、「移民問題で混乱している社会」まで入れる意味っていうのがいまいち分からない。

そもそも「子供が生まれなくなった」から世界が混乱しているという状況が分からず、だったら子供のいない夫婦や子供を作ってはいけない宗教者はテロリストなの?社会を混乱に陥れているの?と思ってしまい、「子供が生まれない=テロや移民の増加」という式が全然成り立たないんだよなぁ。まだ「子供が生まれない=未来を繋ごうとしない=人々の退廃化」なら分かるんだけれど。
「子供が生まれなくなった」とは関係無く、単に世界が混乱して行った未来というだけなら、主人公が反体制派に追い駆けられるという事と、最後の政府対不法移民の派手な銃撃戦をする為だけにこの設定入れたんじゃないかと思ってしまったし。
それに、一人子供を産んだのなら、その後も世界各地で産まれて来るんじゃないの?と思ってしまい、キーを巡る逃走劇に身が入らないし、少しの反体制派だけが追っ駆けて来て、話は世界を変える出来事を描いているのにえらくちんまい。
また、政府は子供に関しては全く何も知らずに、移民に対して残酷だという事だけしか見せないので、社会批判や政府批判にしても余りに分かり安く悪者化されていて、2006年の映画にしてはしょっぱいし。
主人公のセオ・ファロンがエネルギー省に勤めているという設定も特に活かされないのも何なのだろう?

あと、この映画の特徴として長回しがあるんだけれど、これが微妙。
序盤の自動車内でカメラがグルグル回りながらの襲撃場面は、後から思うとキーが怪我したり死んでしまう可能性もあるのにあんな危ない事している反体制派はアホ過ぎるので完全に映像的見せ場でしかないのだけれど、確かにカット無く一気に見せる映像には興奮はした一方で、運転席と助手席に設置されたカメラは何目線なのかがずっと疑問だった。
終盤の収容所での銃撃戦場面でも、ずっとクライヴ・オーウェンの後を追っ駆けてカメラが移動し、そのカメラのレンズに水飛沫や血飛沫が付いてしまうと見ている方に、これはカメラが撮っている映像だと意識させてしまい、本来なら臨場感を出す為の演出が、クライヴ・オーウェンの後をカメラを持った人がずっと追い駆けている事になってしまい逆に覚めてしまった。
それに下手に長回しでカットを切らずにしているので、銃撃の血飛沫とか、クライヴ・オーウェンとジュリアン・ムーアの口でのピンポン玉のやり取りとかがCGだというのが直ぐ分ってしまい、そこでも急に覚めた要因になってしまっていた。

クライヴ・オーウェンは、彼が演じるとハードボイドになり、画面が引き締まるけれど、このセオ・ファロンが今何を思っているのかがいまいち分かり難かった様に思う。
ジュリアン・ムーアはもっと出るのかと思いきや直ぐ退場したし、「私よ。ジュリアンよ。」と言った人物がジュリアン・ムーアだったのには笑ってしまった。ジュリアン・ムーアにジュリアン役を演じさせたのって、絶対笑かしにかかっているよね?
マイケル・ケインも伸び伸びと演じていて良い。
他にも舞台がイギリスなのでイギリス人が多いのは分かるのだけれど、肝心の監督のアルフォンソ・キュアロンはメキシコ人と言うのが分からない。イギリス人監督に撮らせればよかったのに。

この映画、軸となっている「子供が生まれなくなった世界」の思考実験というSF部分では微妙で、久しぶりの子供の誕生で一時は争いが収まるけれど、結局は争いを続ける事には変わらないという、「子供が生まれなくなった世界」と「混沌の世界」を描いていてもどちらも中途半端な感じしかしない不満足感ばかりだった。結局「子供が生まれなくなった世界」で何しようとしたのか、何を描きたかったのかがピンと来ず仕舞いで、おっさんの逃亡劇の映画ばかりに思えた。
妊婦と子供を守る全く関係の無いおっさんの逃亡劇と言う所ではまあまあかな。

☆☆★★★

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