シェルブールの雨傘

2015年12月14日 月曜日

ジャック・ドゥミ監督・脚本、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の1964年のフランス映画「シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)」。

まだ若いジュヌヴィエーヴはギイと恋に落ち結婚を考えるがギイは徴兵に取られてしまう。ジュヌヴィエーヴはギイからの手紙が来ない事を嘆きながら、自分にギイとの子供が出来た事を知る。ジュヌヴィエーヴの家は借金で困っており、それを見かねて助けを出した富豪のローランがジュヌヴィエーヴに求婚する。
このままでは子供も育てられないが、それでも帰って来ないギイを待つか、ローランを受け入れるかで悩むジュヌヴィエーヴだった。

話自体は王道の恋愛劇でそんなでもないけれど、この映画の特徴は何と言っても全編音楽が流れ続け、登場人物の台詞が全て歌われると言う事。ただ、歌いはするけれど踊る訳ではないのでミュージカルではなく歌劇。オペラを当時の現代劇映画として作った感じ。

オープニング・クレジットは雨の中の道を真上からカメラが撮り、その下を傘を差した人々が行き交うと言う非常に洒落て心地良い場面から始まり、その後の自動車工場での陽気な音楽と歌劇で、音楽が非常に良くて一気に掴まれた。しかも、その後に出て来る店や家等、原色に近い色取り取りの美しく非常に映えて目が行く舞台や、カメラをカットを切らずに長回しで前後左右と自由な動きをして映像的にもおもしろく飽きさせず、ここでも引き付ける作りをしていて関心。

…ただ、この今見ても目新しく飽きさせない画面作りと快適な音楽は始まって20~30分位で飽きてしまい、見るのがしんどくなり始めた。しんどくなった一番の理由は登場人物達の歌での台詞。
常に音楽が鳴り続け、登場人物達が高い声で歌い続けると、もう頭の中がキンキンして疲れてしまい、「うるさ~い!!」と怪物王子みたいに爆発しそうになる。耐えられなかったので中盤以降は音無しの早送りにしてしまった。
わたしはミュージカルの「普通に喋っていたのに、急に歌い出して踊る」という理不尽さや馬鹿馬鹿しさが嫌いでミュージカル映画に対する耐性が無いのだけれど、この歌劇形式は始めから全てが歌なので理不尽さは感じなく見れはするものの、常に音楽が鳴って歌い続けるのには耐えれなかった。他の映画でも台詞は普通に喋っていても常に音楽が鳴り続けているという形式は昔の映画で結構見たけれど、それも耐えれなかったし。
音楽も初めは心地良く、素晴らしい音楽と思っていたけれど、話が進むにつれ、使い回しでさっき聞いた音楽増えて来たり、流れている音楽と歌っている台詞の曲が何だか合っていない所も結構あったり、映像の丁度良い編集点と言う事で映像のカットに合わせているのか、曲が完全に終わっていないのに曲がブツ切りで終わって次の曲になっていたりと徐々に気になる点が出て来て、「あれっ?」と感じる部分も多かった。
常に歌い続けるというのは盛り上がる様で、実は減り張りが消えてしまいのっぺりとした印象になってしまう様に思えたし。

話自体は好き同士が引っ付かない哀しい恋愛劇ではあるものの、ジュヌヴィエーヴがギイを選ばない葛藤の場面が結構薄くて、今まであれだけ燃え上がっていた恋を捨てるだけの動機が弱い様に思えて、若い時の熱しやすくて冷めやすいと言うしょうも無い若い恋愛話にしか見えなかったし、最後の場面ではギイの方の幸せさを描いて終わってしまい、ジュヌヴィエーヴがギイに会っての感情の機微が大して描かれないまま行ってしまうので、ジュヌヴィエーヴの今の生活は幸せで正しい選択だったのか?それとも間違っていたのか?を考えさせる所まで行かない感じで終わってしまうのが勿体無い感じだった。

この映画、全編台詞が歌で歌劇という実験的な作品ではあり、一時間半も常に音楽が鳴り続け、登場人物が歌い続けるのがわたしには非常に辛かった。色使いやカメラの動き等画面構成は非常におもしろいだけに、この歌劇と言う形式でなければもっとおもしろく、集中力を持ったまま見れたのに…と思うばかり。

☆☆★★★

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