地獄の黙示録

2015年12月09日 水曜日

フランシス・フォード・コッポラ製作・監督・脚本・音楽、マーティン・シーン主演の1979年の映画「地獄の黙示録(Apocalypse Now)」。

ベトナム戦争中、暗殺等の特殊任務に従事していたベンジャミン・L・ウィラード大尉はウォルター・E・カーツ大佐の暗殺命令を受ける。カーツ大佐は正気を失い、軍の命令を無視し、カンボジアのジャングルで独自の集団を作っていた。
ウィラード大尉は暗殺の為に河を遡って行った。

「地獄の黙示録」って、色々な部分で有名で、見た事無かったので見てみたけれど、これが非常につまらなかった。展開は終始緩慢で後半になる程盛り下がり、話の無駄が多い割にやたらと省く場面が多かったり、説明を省いた思わせ振りな台詞とそれに合わせた抽象的な映像と、好きじゃない要素ばかりだった。

序盤に主人公が暗殺命令を受け、はっきりと目的を出しているのに実際にカーツ大佐と会うのは二時間も過ぎてから。そこまでがおもしろければ十分引っ張りが効き、最後に至っての対面と暗殺が盛り上がるのだろうけれど、そこまでが全然つまらない。
多分この映画で良く取り上げられる有名な場面のヘリ部隊による空襲は、サーフィンがしたいと言う頭のおかしい司令官を見せる為の振りで、そこまでが地味で全然盛り上がりが無く、派手な掴みとなるヘリ部隊による空襲も始まってから40分してからだし、虎が出て来て頭がおかしくなり始める仲間とか、おもしろくもないのに5分位も長々と描かれるプレイメイトショーや、結局何の戦闘なのか曖昧なままの国境付近での戦闘とか、所謂評論家が言う「芸術的なロードームービー」的な取り留めの無いグダグダした展開ばかり。こういうだれまくる展開って、見ていても疲れて来て、面倒臭くなる。

話も、出て来る軍人誰もが頭がおかしく、頭のおかしいと言われているカーツ大佐を暗殺しに行くけれど、そもそも作戦や戦争自体の命令を出している上層部が一番おかしいんじゃないのか?という皮肉を滑稽さで満ち満ちた展開にして描いているのは分かるけれど、それを真っ直ぐに描いた戦争映画が幾らでもある訳で、今この極端なカリカチュア的表現の映画を見ても、このやり口って古臭さしか感じない。この映画もアメリカン・ニューシネマっぽいけれど、アメリカン・ニューシネマって当時の雰囲気を経験しているか、相当その時代の雰囲気を理解していないと雰囲気やおもしろさが掴めず、今見ると色褪せた時代の遺物感が物凄い。これも当時は最先端のエッジの効いたのイカしたやり方だったのかなぁ…?と思うばかり。
あと音楽も、音楽だけのサントラ部分は今聞くと如何にもな時代感で、古さを感じてしまう。

終盤での現地の言葉を全く話していないカーツ大佐は英語が分からないであろう人々に対して何をしたから人々が集まったのか?とか、集まった人々は何を目的としているのか?とか、そもそもカーツ大佐は何の目的で人々を集めたのか?とか、寝返ったカーツ大佐暗殺の前任者を出しておきながら何で彼は寝返ったのかの描写も一切無かったり、一方のウィラード大尉は何でカーツ大佐をこっそり探し出して暗殺しないのか?や、逆に何で大人しくカーツ大佐の話を聞いていたのに勝手に判断して暗殺まで行くのかの行動原理が説明不足過ぎて全然付いて行けない。
それに他の部分でも描かない部分や編集で落としているのか、場面転換の急激さも付いて行けない。
散々目の前の戦闘よりもサーフィンの事ばかり気にしていたヘリ部隊の司令官は、服脱いで自分でサーフィンすると言い出したのに、結局彼のサーフィン場面は一切描かれず。あれだけ振りに振っておいて、戦闘機による航空支援の爆撃まで見せておいて、このスカしっぷりに「何じゃ、こりゃ?」
別に食料が足りないなんて描写も無いのに、敵がいるかもしれないジャングルにわざわざ分け入ってマンゴーを探す意味も分からないけれど、その後に虎が出て来て驚いて逃げるけれど、虎が映されるのは1カットだけで済まされてしまい、だったら最初から入れる話でもないじゃんと思ってしまう。
一番編集が荒いと思ったのは、この映画の有名なもう一つの場面であるマーティン・シーンが濁った河から顔を出す場面。この直前の場面では普通の顔のマーティン・シーンが船から河に飛び込んでいるのに、直ぐ次の顔を出す場面では何故か顔に緑色の迷彩柄を塗っている。一回川岸に上がって迷彩柄を綺麗に塗ったって事でしょ?要はマーロン・ブランドが顔に迷彩柄を塗った格好でマーティン・シーンの仲間を殺したから、そのお返しの意味もあってマーティン・シーンが同じ様に顔に迷彩柄を塗ったという繋がりを出しているのだろうけれど、だったら顔を出す場面前で塗っておかないと。繋がりもあったもんじゃない。
この映画の撮影時に相当問題があって、撮影現場がゴタゴタしていて、現場で脚本書き直して、とりあえず撮っておけ!的な感じだったらしいけれど、それを無理矢理編集して繋いだので繋がっていなかったり、粗かったり、散漫だったりするのかなぁ。マーロン・ブランドも即興の芝居を勝手にしていたらしいので、何のこっちゃな感じだし。

この映画でおもしろいのは役者陣。皆、若い。
当たり前に逆なんだけれど、マーティン・シーンなんかチャーリー・シーンだな。
デニス・ホッパーも結局何だったのか良く分からないけれど存在感だけはあったし、ハリソン・フォードの真面目な青年軍人役ってのもおもしろかった。
後は、途中まで若くて全然気付かなかったけれど、船の仲間の一人がローレンス・フィッシュバーンだった。若くて痩せてて別人だけれど、顔の表情は今と同じ。しかし、やっぱりローレンス・フィッシュバーンが出ている映画って、外れが多いな。

この映画、意味深な台詞で哲学的っぽく、笑えない滑稽さを前面に押し出した皮肉さで良い意味での芸術的な映画と評されているんだろうけれど、今見るとその手法も如何にもな時代感で色褪せ、何か凄い様に思えるけれど評し難いからのという悪い意味での芸術的な映画。
この映画に関してフランシス・フォード・コッポラ自身が「映画のテーマは撮っていて途中で分からなくなった」と言っているようだし、撮影時に脚本が完成していなかったのでその場で脚本を書いて決めて撮影していた様な粗い感じだったそうだし、マーロン・ブランドの即興芝居等々、バラバラなモノを何とか繋ぎ合せている感が強く、戦争に対する批判や皮肉という題材は分かるものの、映画としては至ってつまらなかった。

☆★★★★

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