切られ与三郎

2015年11月24日 火曜日

伊藤大輔監督・脚本、市川雷蔵主演の1960年の映画「切られ与三郎」。
歌舞伎の「与話情浮名横櫛」を基に、脚色された作品。

歌舞伎の三味線弾きの与三郎は老舗蝋燭屋の養子だったが、養父母に子供が生まれた為に自ら身を引いて三味線弾きとなっていた。しかし、養父が病の床に着き、与三郎を是非とも跡取りとして連れ戻して欲しいという養父の思いを伝えに与三郎を慕う義妹が与三郎の元にやって来るが、与三郎は更に身を引く為に江戸を離れて流転の旅をする事になる。

題名が「切られ与三郎」なので、もっと剣の道に生きる様な、もしくはヤクザの人情モノの様なチャンバラが主な時代劇かと思っていたのだけれど、話は与三郎の義理堅さと命をかける事になる色恋沙汰。
自分が養子であるという義理から家を出て行くので、そういう話かと思ったら、急に囲われている年増な姉さんとの恋愛話になり、そこから不幸になる。そして、また同じ様な不幸の目に合ってしまい、最終的には自分の事を一番に思ってくれていた人がいたのに、自分が良かれと思った事が仇となってしまって皆不幸に…という悲劇で、意外な展開だった。
この、良かれと思ってした事が次々と不幸の原因となり、転げ落ちて行く人生は哀愁があって終始目を離せず、女性の怖さと純粋さを描いている所なんか本当におもしろい。一度はお富と逃げ損ねてボロボロにされたのに、かつらに対してまた人の良さを出してしまい再び人生がおかしくなったのにも関わらず、お富の事を信じてまた騙されるという与三郎のボンボン加減は結構だけれど、最後にはその不信と義理で自分を慕ってくれるお金を不幸にしてしまうって、嫌な救いの無い話で、見終わるとほんとショボーン…として来る。
ただ、見方を変えると、与三郎の一人ドタバタのブラックコメディーにも思えてしまう。する事成す事悪い方に転び、好きな人には裏切られ、本当に自分の事を思ってくれる人を裏切ってしまうって、出来過ぎた悲劇ではある。
それに構成もちょっと微妙な所がある。お富との事があった直ぐ次に再びかつらとの駆け落ちという似た様な展開にしてしまい、更には何故かお富が自分の家の番頭の妾になっているという偶然の都合の良さがあってのお富による裏切りがあったりと、何か同じ所をグルグルしている既視感を感じてしまった。「与話情浮名横櫛」の粗筋を読んでみるとこの映画と結構違うので、映画独自の展開がそのちょっと微妙な構成になってしまっているという事なんだろうと思うと、脚本が微妙と言う事か。

役者と舞台セットは、やはりこの時代の大映映画だけあって素晴らしい。
市川雷蔵は江戸っ子のボンボン感が前面にあり、始めは優しいけれどひねた部分もある若者といった感じから徐々に陰のある男になり、最終的には歌舞伎的なお涙頂戴の迫力ある顔へと変化して行く。そう見える様は流石の市川雷蔵。
お富役の淡路恵子も、始めの色っぽさから二回目の登場は本心がどちらなのか分からない女の怖さを出した上手い嫌な役で、市川雷蔵と画面の強さの双璧はこちらも流石。
中村玉緒も、こういう静かだけれど急に爆発する悪女役って、そっちの方が映える。
ちょっとどうかと思ったのは、お金役の冨士眞奈美。まだ22歳の若手とは言え、そういう少女の役とは言え、物凄いぶりっ子演技で大分わざとらしい。市川雷蔵に淡路恵子に中村玉緒だとは言え、一人だけ物凄く浮いている。

それにセットは凄い。
江戸の町並みは、雑多に建てられた長屋を空から見下ろした風景だったり、最後のセットなのに水面に細かい波が立ち、遠くに幾つもの提灯を持った人々が見える夜の海辺を再現したりと、今見ると精巧さと奥行きを持ったトンデモないセットに驚きと感心ばかり。
そのセットの中では、人々のちょっとした仕草や行動が当時の人々の生活を細かく再現している様で、ちょっとした演出も細かい。
映像も、当たり前の夜の闇の暗い部分と蝋燭で照らされた明るい部分がハッキリ見て取られ、立っている蝋燭の方向とは反対に影が出来ているし、昼間の家の中でも日の差さない所は薄暗くなっていて、光と影の意識、演出が気持ち良い上手さで画面を作っている。

この映画、構成が繰り返しの所があるのがもう少し何とか出来た様にも思うけれど、転がり落ちて行く悲劇としては中々良いし、役者陣の濃さを堪能出来るし、セットとその中での印象的な陰影のある映像は見ているだけで引き込まれるしで、上質な時代劇。

☆☆☆★★

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