大菩薩峠 竜神の巻

2015年11月22日 日曜日

三隅研次監督、市川雷蔵主演の1960年の映画「大菩薩峠 竜神の巻」。
大菩薩峠」から続き「大菩薩峠 完結篇」へと続く三部作の二作目。
原作は中里介山の新聞連載された小説「大菩薩峠」。

前作で宇津木兵馬による敵討ちに合った机竜之助は何とか逃げ延び、奈良へとやって来る。そこで前作で偶然出会った自分が切り殺した妻お浜とそっくりなお豊と再開。道端で偶然出会った討幕派の剣士と行動を共にし、爆弾で目をやられ、盲目になってしまう。そんな机竜之助を、机竜之助に祖父を殺されたお松と七兵衛が仇討の為に宇津木兵馬と共に追い駆ける。

前作でも偶然人々が都合良く出会い、グダグダした訳の分からない展開の連続だったけれど、続編でも同じ事を何度も繰り返してやってしまっているので、馬鹿馬鹿しくて最早コメディ。
机竜之助が京都から奈良に人知れず逃げているのに、慣れない土地のはずなのに何故か机竜之助の行動を知って確実に追い駆ける事が出来る超能力を持った盗賊のおじさんに引き連れらる一行。しかも奈良では、机竜之助が偶然出会ったおじいさんの要望で居候する隣の家に近江辺りで出会ったお浜とそっくりなお豊がいたりとか、もう終始偶然の連発。都合の良さの連発。死んだ妻と同じ顔の別人なんて出て来る時点で馬鹿馬鹿しいけれど、そのお豊がお浜と同じく望まぬ相手に手籠めにされて無為な夫婦生活をするという天丼までして、もう飽き飽きする展開ばかり。
天丼で言えば、お松は前作でも何度も騙されてどっかに売られたりして逃げ出していたけれど、今回もお豊がいる伊勢に皆を集めるだけの展開の為に誘拐されて偶然伊勢に行くという不幸を繰り返してしまう。

机竜之助は何故か盲目になってしまう。何でそんな展開にする必要があるのか分からないけれど、多分新聞連載が長期連載になり新たな試練の展開が欲しかったからだけで盲目にしたんだろうなぁ…?
机竜之助の周りにいた人は体に傷を受けているのに、何故か机竜之助一人だけが目を直撃。しかも、目からは血が流れてるのに瞼は一切傷が無い。じゃあ、机竜之助は爆弾が爆発した時は一切目を閉じずに目を見開いていたという事なのか?
爆弾で盲目になったという結構超展開で急に盲目になっているのに、一人で山道を抜けて奈良辺りから伊勢まで行けてしまい、しかもその前の場面は着物はボロボロだったのに、次に机竜之助が登場すると真っ白い着物で髪の毛もしっかり整えていて、「着物にしろ髪にしろ、どうしたの?」だし、山道をずっと歩いているのに着物が一切汚れないなんて、何の超能力?

それにこの映画、前作からそのまま話が繋がっているのに特に序盤に前作の復習も無く急に始まっているけれど、当時の人々は前作をはっきりと憶えていたんだろうか?
前作の最後でこれからチャンバラが始まる…って所でブツ切りに終わったにも関わらず、今作ではそのチャンバラが結局どうだったのかも描かれないし、今作の最後も前作と同じく机竜之助と宇津木兵馬が対峙した所でお終い…って、完全に笑かしでやっているよね?

この映画、長期新聞連載の小説の悪い部分しかない。長期連載なので何時までも話をまとめず、延々と机竜之助がどっか行き、それを宇津木兵馬とお松とおじさんが追っ駆けているだけ。主要登場人物は偶然都合良く同じ所に集まる。急に登場した人も再び都合良く偶然登場人物達と出会い、あっさり死んだり、その後どうなったかは描かれない使い捨て。総集編の短縮版みたいに結構早く物語は展開して行くのに、やっている事は同じ事の繰り返しで全然話が進まず、非常に退屈。一作目は初見だったのでまだ見れたけれど、二作目も同じ様な事しているので退屈過ぎた。

★★★★★
 
 
関連:大菩薩峠
   大菩薩峠 完結篇

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