狼の挽歌

2015年07月30日 木曜日

セルジオ・ソリーマ監督、チャールズ・ブロンソン主演の1970年の映画「狼の挽歌(Città violenta)」。

ジェフはある人物の暗殺以来を受け、実行した。その後、ジェフが彼女のヴァネッサいる所を暗殺依頼を出した男達に襲われ撃たれるが一命を取り留めた。ジェフは復讐と消えたヴァネッサを探し出す為、アメリカへと向かった。

所謂おっさんが主役のハードボイルド映画なんだけれど、展開や演出はもっちゃりし過ぎだし、脚本も粗くて、眠気に襲われた。実際に何度か寝落ちしていたし。
今ならもっと短く何度もカット割りする様なカーチェイスやアクション場面で長く回して緊迫感が削がれてしまうのは時代的にしょうがないにしても、展開がハードボイルドなアクション映画にしてはまったりとし過ぎ。序盤のカーチェイスは長い割に、敵の自動車の側をゆっくりと自動車を切り返して走り抜けて行ったりと緊迫感は無いし、自分を撃ったクーガンの暗殺の為に自動車レースを延々と10数分も眺めているだけの場面なんて退屈過ぎる。
彼女が主人公を裏切っていた事が分かる本来ならもっと衝撃的な場面や衝撃を受けた様な主人公の反応にする場面を、ゆっくりと後姿から彼女を見せてしまうのでその裏切りの衝撃は無いし、チャールズ・ブロンソンもちょっといぶかしげ程度に見ているだけという反応だし、この映画で何を見せたいのかがいまいちはっきりしなかった。

それに展開も描かれない部分が多いので適当、いい加減にしか思えない部分も多い。
チャールズ・ブロンソンがヴァネッサにぞっこんで、彼女が自分を裏切っていた事を知ってもまだ彼女を許している風なのに、この二人がどうやって出会って、何でこんなにチャールズ・ブロンソンがヴァネッサに惚れているかが描かれないので、終始「何で?」と疑問しか出て来ない。性欲の強いおっさんが若い娘に入れ込んでいるだけにしか見えないし。ヴァネッサの行動原理も何だか分からないまま進んで行くし。
敵のウェーバーも何の組織なのかはっきりしないし、何でチャールズ・ブロンソンをそこまで執拗に必要としているのかもはっきりしない。
チャールズ・ブロンソンがアメリカにやって来て、仲間らしき人物に自分を撃ったクーガンと彼女のヴァネッサの行方を探して欲しいと頼むのだけれど、クーガンは自動車のレーサーらしく大きな大会に出場していて、別に他人に頼まなくても直ぐ探し出せそうな相手なのに探す当てすらないという頭の悪い主人公だし、一方のヴァネッサは、仲間は「完全にお手上げ。」と言っているにも関わらず、その直ぐ次の場面ではヴァネッサの居場所にチャールズ・ブロンソンが現れていて、どうやって探し出したか一切描かないという酷い省略。そもそも何でアメリカに行ったのかとかの理由も描かれないし。
チャールズ・ブロンソンがヴァネッサの行方を突き止め、彼女に対して怒っているのかと思ったら急に性欲が爆発し、嫌がるヴァネッサを強姦し始める展開もいまいち訳が分からないけれど、一番訳の分からない場面は、その途中で急に一対複数で殴り合う男達が乱入して来て強姦は中断。するとチャールズ・ブロンソンが「街は暴力だらけ」と言ってこの場面は終わってしまい、次の場面ではチャールズ・ブロンソンとヴァネッサが仲良く飛行機乗ろうとしている所。してもいないチャールズ・ブロンソンが溜飲を下げ、チャールズ・ブロンソンといなくても街には暴力が蔓延っているから二人が仲直りって、終始登場人物の感情も、この場面がある意味も意味不明。単に観客へのエロと暴力があるハードボイルド的な場面を見せたかっただけなんだろうか?

それにチャールズ・ブロンソンが何かいまいちよくなかった。顔がバカボンのパパみたいに見えてしまうし、目が物凄く小さく、渋さを出す為に顔をしかめる表情を作るので、余計に目が小さくなるのでカッコ良いとは思えないし。

この映画、序盤で結構退屈で寝落ちしてしまったので、それ以降を改めて観始めても全然集中力が続かなかったから適当に見てしまっているのかもしれないけれど、色んな説明を省略し過ぎて何だかよく分からない展開になってしまっている感じがある。それに本来なら終始緊張が必要なはずなのに、終始まったり、もっちゃりしていて、緊迫感が全然無いのも集中力が続かなかった理由かもしれない。

☆★★★★

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