マッドメン
2015年04月10日 金曜日2015年の第一期に新たに見始めたテレビドラマ「マッドメン(Mad Men」。
BS日テレでシーズン1が放送開始したので見てみた。
アメリカでは2007年からAMCで放送され、現在シーズン7が放送中。
舞台は1960年のニューヨークの広告代理店。
ドン・ドレイパーは凄腕のコピーライターで、店や企業の雑誌広告を手掛け、世間で危険性が騒がれる様になって来た煙草や選挙に関する広告宣伝も次々と成功させていた。家庭も妻と子供達と幸せに暮らしていたが、ドン・ドレイパーは自分の過去を妻にも一切話さず、浮気相手もいた。
ドン・ドレイパーを中心に、彼の妻の悩みや会社の同僚の野心や家族の問題等を描いて行く。
序盤はこの時代設定の見せ方や謎多き主人公ドン・ドレイパー、彼を取り巻く人間関係のおもしろさで楽しみだったけれど、中盤辺りから脚本の弱さでちょっと微妙に退屈な感じになり、序盤の「どうなって行くの!?」のワクワクを超える事がなかったのが残念。
観始めは1960年代のマンハッタンの広告代理店が舞台という事で当時の世相や風俗を垣間見る派手な世界を見せつつも、ドラマ自体はそれぞれの激しくは無い、今も誰もが抱えていそうな悩み事をじっくり描いて行く静かな硬派なドラマで引き付けられた。登場人物達も、ほとんどが何かしらの問題に対して難しい顔をして何を考えているのかをはっきりとは言わないので、見ている方も想像を巡らしながら引き込まれるという非常に上手い演出になっているのは感心していた。
それにこのドラマの一番の特色である1960年という舞台設定で、当時はそれが当たり前だったであろう女性差別・人種差別・セクシャルハラスメントが普段の会話として頻繁に登場し、それを話している方も悪気は無く、男女皆が煙草をバッカバッカ吸い、仕事中に酒を飲んだりと、今だと完全に駄目な事も当時は一般的な事だったからとちゃんと描いている部分が特に興味を引きつけた。アメリカなら「古き良きアメリカ」、日本なら「古き良き昭和」という良い思い出に頼って美化してしまい、今に再現するドラマでも悪い部分は描かないという気持ち悪い感じではなく、「それが普通だから」とちゃんと描いている部分に感心。当時をちゃんと再現しようという心意気だけで無く、50年程経って変化した、もしくは是正して確実に前進している部分と、何時の時代でも変わりはしない人の気持ちや行動という対比を色濃く見出せるのも上手い設定や演出で見せる。
一方で、政府によって煙草が危険と一般的に知らされて来始めて、煙草会社としては今までの様に広告が打てなくなり始めた中で、どう煙草の広告を打つかという腕の見せ所を発想の転換で、悪く言えば口先一つで相手を納得させる広告屋を見せたりと、交渉や言い回しの一つで与える印象が変わってしまう文章の作り方の上手さもおもしろい部分。
ただそれらの事も中盤辺りで慣れてしまうと、品の無い発言はただ品が無い人物にしか映らず、ただうっとおしい嫌な奴にしか見えなくなり、急に登場人物達に対する興味が薄れて行った。
主人公のドン・ドレイパーも仕事に関する事ははっきりと言うけれど自分の気持ちははっきりと言わず、ほぼだんまりを決め込むのでずっと掴み所の無いまま、「物凄く妻の事心配しているのに、やたら浮気しまくっているのは何が不満なの?」とか、「過去を消す理由はまだまだ引っ張るの?」とか結構消化不良のまま続くので疲れて来る。
他の仕事場の人々も、あまり自分の気持ちを言わないまま話は進むのに、描写が少ないまま急に感情を爆発させるので戸惑う事も多かった。
それに、舞台が広告会社の企画部と営業部位で広くなく、登場人物がそれ程多くなくて固定されているので、もっと入り組んだ人間関係で見せて行くのかと思ったら、主人公のドン・ドレイパーの話がほとんどで、会社の同僚の話もそれぞれの個人的な話が多くて、それが各人に絡んで来る感じでもないままバラバラにやっているので、複雑な人間関係を期待していたのにその期待とはちょっと違う感じで、人間関係の部分が徐々に押しが弱い様に感じて来てしまった。
広告会社の女性陣を仕切るジョーン・ホールウェイは男社会での立ち回り方の上手さがおもしろかったけれど、やっぱり不倫していて急に安っぽいソープオペラみたいになってしまい、その後会社のあっちこっちで不倫だの恋だのしまくっていて、ドラマの撮影や登場人物の都合上近場でないといけないのは分かるけれど、ドンドン世界が狭くなってしまった。
仕事の部分に関しても、発想や説明の話術の巧みさで逆転する様な場面はあるけれど毎回ではなく、しかも1960年のジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンによる大統領選挙というおもしろい話題があり、ドン・ドレイパーの会社はリチャード・ニクソン側の選挙広告を任されるというどう転んでも一番盛り上がる展開になっているのに、この話が出て来た次の回ではその話は出ないまま違う仕事の話になり、その後忘れた頃に本格的に広告対策出して来るし、もっとあの手この手の作戦や企画会議の丁々発止を期待するのにちょっとした作戦が成功だけで盛り上がりに大いに欠けてしまった。
全体的にもそうだけれど、マンハッタンの広告会社が舞台なんだから、広告のやり合いや作戦でのサスペンスやアクションモノの様な興奮と流れる様な展開を見せるのかと思ったら、大体皆自分のオフィスで煙草吸って、酒飲んで、下品な笑い話しての全然仕事していない場面ばかりで、広告での爽快感が全然少ない。終始まったり。まるでドン・ドレイパーの奥さんが感じている、「子供といるのは楽しいけれど、特にする事もない物憂げな平日の午後」みたいなまったり感がある。
ドン・ドレイパーは渋いおっさんで発想力や交渉力を見せるのでその役柄に説得力はあるけれど、彼の部下達は何時もだべって仕事の成果もそれ程描かれず、皆若い感じがして、彼らは大学のサークルやバイト仲間でボラボラしている感じが強くて、生き馬の目を抜くマンハッタンの広告業界の感じがしないのもある。
部下の一人ピート・キャンベルがドン・ドレイパーの地位を狙っているのはあるけれど先生と生徒感しかなく、この対決が全然弱いし。
ドン・ドレイパーの秘書だったペギー・オルセンが彼女の広告の才能が見出され、徐々に広告業界に踏み込んで行く成長譚は結構おもしろいので、これからの引っ張りとしてはここかな?
舞台が1960年なので、セットや小道具もその時代風で揃えられているのは目が行く所。当時の風俗が今見ると珍奇だったり、「へ?。当時はこんな感じだったのか…。」とそこの興味で見る事もおもしろい。
思ったのは「このドラマ相当制作費がかかるんじゃないの?」という事。テレビドラマで、しかもAMCという大手じゃない放送局で資金は大丈夫だったのだろうか?そう言えば「ブレイキング・バッド」や「ウォーキング・デッド」といった話題性や人気が高いドラマもAMCなんだよなぁ。AMCが2000年代後半からテレビドラマに力入れ出したのは何なのだろうか?
それでも家での場面やレストラン等の場面はそれ程感じないけれどオフィスのセットは如何にもなセット感があり、そこはテレビドラマの規模だからしょうがないのかなぁ…?とは思うけれど微妙な安っぽさは気になる。1960年代の映画で見る様なセット感ばかりな室内セットの再現と思えば、そう見えるけれど、そこら辺は大手じゃない放送局でのテレビドラマだから仕方ないのだろうか?セットや室内の場面ばかりで、外での撮影がほとんど無いのも、1960年代のマンハッタンの再現となると予算的に無理だからなんだろうか?
それに、登場人物達は服装や髪形はそれらしいけれど、顔が1960年代の人には見えないもちょっと気になる。当たり前なんだけれど、1960年代の映画と比べると全然今風の顔で、日本の映画やドラマでも昭和前期から中期の再現を今すると、長身で細身の顔の今の男前俳優や若手女優だと全然その時期に見えないという事があるのと一緒なのか。アメリカでも50年程前と今では顔の形の傾向が変わっているのだろうか?
にしても、ペギー・オルセンが太ったという事の為に、急にその回から分かり易い特殊メイクで顔を太らせて登場したのには笑ってしまった。
それにずっと憂鬱な真面目雰囲気で進んでいるのに急に笑かそうとしているのかどうなのか判断が付かない様ないまいち掴み所の無い訳の分からない部分が結構あって、例えばドンの奥さんベティを誘った上司のロジャー・スターリングに対して昼食に牡蠣を沢山食べさせ、会社のエレベーターを使えないようにし、階段で上がらしてゲロ吐かすとか、ベティが欲求不満で動いている洗濯機に体を押し当てて昼間の情事を想像するという弩下ネタとか、笑かそうとしているのか何なのか、いまいち分からないまま「これって…?」と首を傾げながら見てしまった。
ドン・ドレイパー演じるジョン・ハムの渋さは良い。黙っている感じはロバート・デ・ニーロの様な存在感。だからか、ドン・ドレイパーがイタリア系に見えてしょうがなかった。
ドン・ドレイパーの吹き替えは「もじゃめがね」こと山寺宏一で、初めて見た時は何か違和感を感じたけれど段々慣れて来た。でも、ジョン・ハムの声って、山ちゃんよりももっと軽いんだな。
このドラマ、序盤の興味津々な感じから、徐々にまったりし過ぎでガツンと来る展開が無いので、どうにも序盤以上の興奮が無かったんだよなぁ。今後どれだけ劇的な展開になって行くかなんだろうなぁ…。
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