マイノリティ・リポート
2014年09月24日 水曜日スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の2002年の映画「マイノリティ・リポート(Minority Report)」。
原作はフィリップ・K・ディックの短編小説「少数報告(もしくはマイノリティ・リポート)」。
未来を予知するプリコグによって、犯罪を犯す前に犯罪者を逮捕出来る様になった近未来。その犯罪予防局のチーフのトム・クルーズが捜査しようとした事件の殺人犯が自分だと予知映像に出てき、予知映像なので身に覚えがなく殺人を犯す気もないトム・クルーズは逃亡。追跡されながらも、まだ起こっていない事件の真実を探ろうとする。
以前この映画を見た事あるはずなので、まずは原作のフィリップ・K・ディックの「マイノリティ・リポート」を読んでから見てみた。そうすると、基本的な導入である「犯罪予防局で犯罪者を捕まえるはずの自分が、犯すはずも無い犯罪の予知により追い詰められ、逃亡を図る」というのは同じなんだけれど、逃亡以降の出来事や人物、特に殺人事件の顛末や物語自体の顛末が全く違う。
原作との差異は、
・主人公ジョン・アンダートンは、剥げて太った中年親父で、プレコグによる予知を開発し、犯罪予防局を設立し長年所長を務める。
・司法省のウィットワーは、新たに犯罪予防局にやって来たアンダートンの補佐。
・殺人の相手はレオポルド・カプランという退役将校。
・プリコグの名前も、原作ではジェリー、ドナ、マイク。映画ではアーサー、ダシール、アガサと何故か全然違う。
等々大分違う。実は原作ではこれらの設定自体が話に直接関わる様な伏線にもなっていて、SF的にも、サスペンス的にも非常に上手く構成が出て来ている。例えば、ジョン・アンダートンの人物像は、剥げて来て、太り、もうそろそろ退職を考えないといけない年齢になって来た所に、まだ若く彼の後釜を狙う様な野心を持ったウィットワーが現れ、しかもジョン・アンダートンの奥さんはまだ若く、奥さんと仲良くしている様に見えてしまう若いウィットワーとの関係をいぶかしみ、ウィットワーが自分をはめたのでは?という疑心暗鬼に繋がる様になっている。ジョン・アンダートンが所長を長年務めている事や、殺人の相手が退役将校と言うのも、少数報告やその意味に直接関わって来る重要な部分だったりする。
それに詳しくは書かれていないけれど、以前大きな世界戦争があり、まだ荒廃が残る中でのミュータントであるプレコグの存在や、戦後の犯罪予知の導入等世界設定に説得力を持たせていたり、まだ残っている戦争期の経験者が事件に大きく関わって来るとか、非常に細かく行き届いた設定とそれの使い方。
話的には、逃亡しようと思ったら行き成り殺人するはずの相手に拉致され、警察に引き渡されそうになると謎の協力者が現れ「黒幕はお前の妻だ」と言い残し去って行ったりと、誰が彼をはめようとしているのか、誰が味方で敵なのか、どの予知が正しく少数報告の意味は?等、謎が謎を呼ぶノンストップのサスペンスの展開。正直、この原作の無駄の無い上手い展開を読んだ後に映画をみてしまうと全然別物だし、その緩さにガックリしてしまう。
それに一番の違いは少数報告の扱われ方。映画では「システムが完璧ではないと思わせない為に消去する」けれど、原作では「一人の予知では正しいのか分からないので、二人の予知で確認。しかし二人の予知が別の予知を出した場合にもう一人の予知によって前の二人の予知を調べ、2対1になった多数報告が採用され、残ったのが少数報告」なのだ。「未来は現在のあらゆる要素によって変更してしまうから三重チェックしている」という部分が原作のSFアイデア・ストーリーの重要な要素になっている。
原作が良く出来ているので、別物となってしまった映画を見ると、どうしても残念感が強い。前半まではアクションを取り混ぜたSFサスペンスでおもしろかったのに、中盤以降の普通なサスペンス映画感といい、終盤に勢いは急に減速したままグダグダと終わってしまった感じで、何とも尻すぼみ感が凄い。少数報告の重要性の無さや、殺人を犯し犯罪者になる予定の人は全員釈放、トム・クルーズも何事も無い感じだし、このシステムが崩壊しプリコグ達は良いけれど安全な社会はどうなったの?とかは一切描かれず、脚本の詰めの甘さばかり感じてしまう。
それにフィリップ・K・ディックの原作を映像化して、映像的に見せる事にした為に大きな欠点がある。原作ではプレコグは身動きもせず、ブツブツと独り言を呟くだけなので、それを録音していたけれど、この映画では映像的に見せ、しかもトム・クルーズの手で映像を操っての捜査をする場面を見せる為に、プレコグの予知は映像として出て来る。で、その映像の目線、カメラ位置は一体何なんだ?犯罪現場にプレコグが立っている感じで、しかもその周辺の映像まであり、しかも拡大するとカメラアングルまで変わり、綺麗に拡大され便利過ぎる、予知映像だからって何でもありの如何にも映像制作班が作りました的な映像。予知と言う割にカメラによる制限的な映像で萎えてしまう。
それに突っ込みが多いのも欠点。アメリカの犯罪が爆発的に増えたのでプリコグによる犯罪予知を導入したけれど、初期段階なら(FBIのCrime Clockによると2010年でも凶悪事件は25.3秒に1件)プリコグ三人じゃあ対応出来ずにプリコグも犯罪予防局もパンクするだろうに、何故たった数年でここまで犯罪を減らせたのかが不明。最初の一件も未来殺人罪じゃなく、完全に殺人未遂だし。作り立て、出来立ての自動車が、すでに充電してあり結構遠くまで走れたり、プリコグは散々殺人を見ているはずなのにジョン・アンダートンの行動に物凄くビビっているし。
何よりこの映画の大きな欠点は根本の矛盾。ジョン・アンダートンの事件は予知を見ないと始まらない。予知先行で物語が組み立てられているので、中盤以降の「あれっ?」感が物凄く、前半は結構良いのに中盤からの落ち込みぶりったらない。原作では事件は予知無しの所からちゃんと始まり、予知を見た場合どうなるかの顛末で話は進んで行く。
あと、結構サスペンス調の映画なのに変な笑いを入れるのは余計。ジェットパックの噴射で焼けるハンバーグとか、自分の目玉を落として転がって行くとか。
話は駄目な感じだけれど、SFガジェットは良い。それ程実現不可能ではないと思わせる技術の延長線上、現代的近未来なので、このガジェット感は気持ち良い。特に映像関係のSF感が上手い。指で操る細かな映像。立体映像の表現の仕方。シリアルの箱も動画とかの動画の使い方や、映像広告でレクサス、ブルガリ、ギネスとか現在も本当にある企業と提携したり、50年後も今と大して変わらないGAPとか、飛び抜け過ぎない上手い近未来感を出している。
あと、嘔吐棒や、ジェットパックで人ん家の室内を飛び回って物壊すのは笑ってしまう面白さ。垂直落下する自動車に飛び移ったり、ジェットパックでの攻防、自動車工場での戦いとか、逃亡初期のアクションは良く出来ている。
ハイネマン博士がそれまでボソボソと小声で喋っていたのに、急に大きな声で「It doesn’t matter!」と言ったのには「お前は、ザ・ロックか。」と突っ込んでしまった。
電車で逃亡中、新聞読んでいる人がトム・クルーズを怪しんでチラ見する場面では、その新聞読んでいる人のすぐ後ろの席に思いっ切りキャメロン・ディアスが座っていて、前の新聞読んでいる人(この人も実は映画監督のキャメロン・クロウ)にしか目が行かない所なので、ちょっと上手い入れ込み方。
主演のトム・クルーズだけれど、やっぱりトム・クルーズの演技って…。不安な表情や、ちょっと怒った表情、半泣きな顔とか、表情で心情を語るには物足りないと言うか、下手と言うか…。
この映画、原作とは別物なので原作読んでなくても関係無く、脚本の拙さで中盤以降の失速感にドンドンと集中力を失って行くはず。映像的なSF感は非常に良いのに、折角の原作のおもしろさの軸を取り除き、予知による犯罪防止という所だけを使ってハリウッド映画的な普通なサスペンス映画に落とし込んでしまった感じなので、序盤は良いのに終わり頃には「あ~あ…」というよくある残念感ばかり残る失敗作と同じ感覚になる。スティーヴン・スピルバーグが監督だし、トム・クルーズ主演で大作映画なんだから、もっと良い脚本家、上手い脚本家を使うべきだった。映像的に楽しむなら良いけれど、話を楽しむなら絶対に原作の方が圧倒的に良いし、おもしろい。
☆☆★★★