裏窓

2013年10月29日 火曜日

アルフレッド・ヒッチコック製作・監督、ジェームズ・ステュアートグレース・ケリー共演の1954年の映画「裏窓(Rear Window)」。

カメラマンのジェームズ・ステュアートは足を骨折し、家から出る事が出来ないので、窓から裏庭に面したアパートメントの部屋部屋を見て過ごしていた。人々が普段の生活をしている中、一人の住民が夜中に部屋を出たり入ったりを繰り返しているのを見つけ、これは事件ではないか?と思い始める。友人の刑事に言っても取り合ってくれないので、その住人を見張るだけだったが…。

アルフレッド・ヒッチコックと言うと、「」とか「サイコ」とかが有名だけれど、わたしが最高傑作と思うのはこの「裏窓」。設定、脚本、演出、役者とそれぞれが非常に素晴らしい上に、全てが上手く合致して一つになり、非常に上手く、楽しい映画になっている。

秀逸なのは始まり。裏窓から見える景色をグルッと一回り、二回りと見せ、それだけでこの映画の舞台の説明をしてしまう。しかも、そのまま主人公が何者で、どうして今の生活になっているのかも映像だけで説明してしまう。何より、全てがセットという驚きに加え、その景色に人々の生活の臭いがして来るのだから素晴らしい。その町の普通の人達の日々の生活を見せ、それをジェームズ・ステュアートと一緒に覗いている感覚に陥らせる没入感はセットと構図の妙。よく「主人公に共感して…」と言うけれど、この映画は主人公を擬似体験している様な、FPS的な映画。この感覚って、物語を描くのが主題の映画と言う媒体では中々無い感じ。
そして、このセットが素晴らしい。朝の人々が動き出す様子、夕方の真っ赤な空の中、薄暗くなったアパートメントの各部屋に電灯がついて行く様子、夜の静けさの中で光る部屋の明かりと言った目立つ所だけでなく、煉瓦の壁に雨が垂れて汚れている感じとか、雨が窓ガラスに当たり流れて行く様子とか、物凄く細かい所までが作り込まれ、全てがセットなのに非常に活き活きしている。これを考えて、実際に作って撮影してしてまう製作陣は凄い。
設定の導入も、全てが意味のある使い方で上手い。主人公は怪我で外に出れないから外ばかり見ているというのもあるけれど、本を読んだり、何か作ったりと趣味の事をすれば良いのにと思うのに、それも一切無く外の人達ばかり見ているのは、彼の職業がカメラマンで、ちょっと気になる事に興味を持つと言う職業病的な部分があるからでもあるし、暇でする事無さ過ぎて考える事ばかりの生活で、始めから何も無い事を殺人事件だと妄想してしまっているんじゃないか?という見ている方へのミスリードにも使われたりと、全てを自然と事件に絡める様に構成してあるのは「上手い!」と言うばかり。
グレース・ケリーも、ジェームズ・ステュアートが知らない女性目線での推理で彼に成程と思わせ、恋人としても認めさせるとか、恋愛と事件のどちらも絡めた人物として存在している訳で、少ない登場人物を上手い事扱っている。
それ以外にも、ジェームズ・ステュアートが事件を知れるのは、人々が窓を大きく開け放しているからで、それも真夏日で暑過ぎ、まだ真面な冷房設備が無い時代なので少しでも風を入れようとして窓を開け放しているとか、周りの住人の人生模様を見せながらもそれが微妙に事件に関連して来るとか、まあ上手い事設定や配置をしてあり、ただ感心。
それに、カメラの動きも良い。外の景色をずっと映していると思ったら、実は部屋の中のカメラからの映像だったとか、ほぼジェームズ・ステュアートの部屋から出ないカメラとか、この時期のヒッチコックの映画では壁の一面が無いシットコムの様なスタジオセットばかりの中、ジェームズ・ステュアートの部屋の中もグルッと一回り見せる出来る部屋になっているし、表通りが少しだけ見える裏庭への出入り口も効果的に使っていたり、一部屋からの眺めという限られた設定だけに良いカメラの構図や動きになっている。

ただ一つ、つまらないのは、場面の繋ぎが常にフェード・アウトからのフェード・インだけという所。場面の繋ぎが単調になってしまっているし、切り上げて次に行くのも早くて、もう少し何か別の方法なかったのかなぁ?とは思う。

この映画、本当に凄いし、素晴らしいし、好き。設定を活かした脚本や演出、セットが全て見事にはまるというのは中々無い事だけれど、この中庭の見える一部屋からの眺めという限定された設定で、これだけ人々を見せ、疑惑と妄想を行き来させる事件を展開し、興奮と感心を見せる映画というのは素晴らしい。映画「ロープ」もそうだけれど、アルフレッド・ヒッチコックの映画は何かしらの限定された中で、何か新たな事に挑戦しているのが抜群におもしろい。

☆☆☆☆☆

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