危険がいっぱい

2013年10月05日 土曜日

ルネ・クレマン監督・脚本、アラン・ドロンジェーン・フォンダ共演の1964年のフランスの映画「危険がいっぱい(Les félins)」。

アラン・ドロンは人妻と寝てしまい、その旦那は悪党だった為に命を狙われる事に。何とか彼等から逃げ出し教会へ逃げ込む。そこで施しに来ていた未亡人に運転手・使用人として雇われる事になり、彼女の邸宅で暮らす事に。その邸宅に暮らしているジェーン・フォンダがアラン・ドロンに寄って来るが、未亡人は彼に対して何やら企んでいるようであった。

話も展開も分かり難い。アラン・ドロンが命を狙われる所から始まり、序盤の逃亡劇はいいのに、その逃亡劇までで何があったのか描かれないので身が入って行かないし、早い段階で逃亡劇も一段落してしまい、ほとんど追い駆けて来る人達も登場しなくなってしまう。その後のアラン・ドロンと未亡人とジェーン・フォンダのまったりした三角関係が続く事になり、急に物語が失速してしまう。ずっとこの未亡人の計画の話ばかりでアラン・ドロンの逃亡劇は関係無くなってしまい、結局この逃亡劇が何の意味があるのか分からずで、ずっとモヤモヤしたまま。恋愛劇も未亡人は何年も計画実行を待っていたはずなのに理由も示さず急にアラン・ドロンに乗り換えてしまうし、アラン・ドロンが登場した事で何年も続いていた未亡人と隠れた男の関係が急に揉めてしまったり、適当過ぎる急な関係の終わりは酷過ぎるし、全ては最後のアラン・ドロンとジェーン・フォンダの輪廻的な関係性に持って行く為だけだと分かり、色んな要素を継ぎ接ぎした感は否めず、その強引さとか脚本の散漫さと粗さばかり目立ち、おもしろくないまま終わってしまう。
登場人物達の行動はそれなりに理解出来るけれど、よく分からないのはアラン・ドロンの考え。命を狙われているのにまったりと豪邸で遊んでいる感じで危機感が無いし、敵が同じ町に来ている事を知っていて、自分は自動車の運転手なのに自動車でそのまま逃げればいいのに汽車で逃げようとしたり、ここでも逃亡劇が単なる屋敷に来る為だけの導入でしかなく、適当感が凄い。それに何でジェーン・フォンダではなく未亡人の方に行くのかが分からない。40代位のおばさん行くのは資産目当てなのか、単にアラン・ドロンが熟女好きなのかも分からないままで、ずっと「??」のまま主人公が行動しているので付いて行けず。結局は熟女好きの性癖という事以外は理由無し?

この映画、アラン・ドロンの逃亡劇とアラン・ドロンの三角関係を強引に繋ぎ合わせてしまった結果、この二つが混ざり合わず、行き成り撃ち殺してしまって終わりという、見ている方を余りに馬鹿にした酷い展開しか見せられず、だったら掴みの為だけの逃亡劇なんていらないから、ちゃんと三角関係だけで話を作ればよかったのにと思えてしまった。

☆★★★★

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