マルタの鷹

2013年04月10日 水曜日

ジョン・ヒューストン監督・脚本、ハンフリー・ボガート主演の1941年の映画「マルタの鷹(The Maltese Falcon)」。ダシール・ハメットの小説「マルタの鷹」を原作とした映画。

探偵ハンフリー・ボガートの事務所に女性が訪れ、妹が男と駆け落ちした様なので連れ戻して欲しいと言う依頼を受ける。しかし、その捜査に出た相棒が何者かに撃たれ死亡する。依頼人の女性に尋ねると依頼は嘘で、しかも何かを隠している様子。更に、鳥の像を見つけたら大金を出すと言う依頼人の代理が現れたり、誰かに尾行されている事に気付いたりと、怪しい人物ばかりで話は混沌とし、何が起こっているのか分からないまま話は進んで行く。

設定や話は、人物の利害関係や虚実ない交ぜが何重構造にもなっていて結構おもしろいのに、映画的な映像部分では全然おもしろくない。セットのほとんどがシットコム的なこちら側の壁の一面が無い一部屋ばかりで、そこでハンフリー・ボガートが相手に話を聞き事実を探り出して行く場面ばかり。そこにいる人物達の引きの画のまま会話劇がワンカットで続くか、そこに人物のアップのカットが入る位で、映像的に動きがほとんど無い場面が多く、結構退屈。しかも、誰もが全てを台詞で説明するだけで進んで行くので、1時間40分位の尺中ずっとハンフリー・ボガートが部屋から別の部屋へと移動して会話しているだけの映画に思えて来る。
本来なら緊張を盛り上げる場面も、音楽は盛り上がるけれど人物達の全身が映っている様な引きの映像のまま殴ったり倒れたりで、全然緊張も無く、非常にしょっぱい。
全体の構成も、今時と言うか、近年30年位の映画なら、まず始まりで主役の人物像が分かる様な派手な一件があってからオープニング・クレジットが入り、本編に行くだろう所が、この映画では「マルタの鷹」の伝説の説明から始まり、その後にも本編の説明的導入になる依頼人が登場して事件の説明になり、説明ばかりで盛り上がりなぞ無い、のっぺりとし過ぎる導入。しかもこの演出意図がさっぱり分からないのは、冒頭で「マルタの鷹」の伝説を説明しているのに、劇中でも登場人物が同じ事、むしろそれを詳しく説明するのだから二度手間だし、始めに見せる事でネタばらしにもなっている無意味な説明で、何じゃこりゃ?それに話も、始めの方は得体の知れぬ陰謀・策略が巡らされワクワク感があったのに、見終わると五人位の内輪揉めでしかなかった事に気付き、しょっぱさばかりの後味。

一番の問題は主人公に魅力が無い事。常にハンフリー・ボガートはスカしまくり、何でも分かっている風で、常に相手の上手にしか立っていない。そんな人物だからこそカッコ良くなくてはいけないのに、ハンフリー・ボガートが全然カッコ良くない。顔は地味でスターと言うよりも普通のおじさん。しかも、台詞は高い声で一本調子で早くまくし立てるだけで、全然上手く感じない。何でハンフリー・ボガートって当時は絶大な人気があったのか、さっぱり分からない。
それにこういう映画、特に昔の映画なら女性に一人は綺麗所を入れ、綺麗だからおっさんの主人公が手玉に取られ操られたり、綺麗だから彼女に味方するという理由付けでもあるはずなのに、誰一人として綺麗でも無く、皆普通のおばさん。特に最後にハンフリー・ボガートがメアリー・アスターを見逃す見逃さないの一揉めがあるけれど、ハンフリー・ボガートが彼女にはまっているのかもはっきりしない感じで、しかもメアリー・アスターに魅力が全く無いので、ここでの愛だの何だのの説得力の全く感じられず、メロドラマ的結末に持って行く都合の良さを感じてしまった。

主人公のカッコ良さやすけこましを楽しむ事も出来ないし、恋愛劇もサスペンス映画としての理由付けにはならないぞんざいな描き方だし、サスペンス映画であり推理映画でもあるのに緊張感を盛り上げる様に映像で見せる訳でもなく、変わり映えの無い映像の中で台詞だけで説明してしまい話も演出も平板のままで進み、設定や導入はそれなりにおもしろいのにそれを活かさない、潰す様な配役と監督の演出でつまらない映画になってしまった印象が非常に強い。原作小説は読んだ事が無いけれど、何だか小説をそのまま映像化してしまったのでこんな非映画的な出来になり、映画的に退屈な映画になってしまった気がする。

☆★★★★

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