ウィンチェスター銃’73

2012年11月23日 金曜日

ジェームズ・スチュワート主演の1950年の西部劇「ウィンチェスター銃’73(WINCHESTER ’73)」。

ワイアット・アープが守る町にやって来たジェームズ・スチュワートが因縁の相手を見付け、彼との射撃大会での勝負になる。ジェームズ・スチュワートが勝ち、商品として名銃を手に入れるが奪われ、その銃を追い駆ける主人公達。次々と持ち主が変わる銃を巡る話。

流転する銃の話でそれが主題でもあるのだけれど、その銃の見た目は至って普通の銃と変わらず、人々を虜にする様な何らかの魔力的な魅力がある訳でも、そういう風に見せる訳でも無く、銃の特異さや不思議さを見せようとはしているのかもいまいち分からず、その銃が題名にもなっているにも関わらず見せ方は全然足りない。一方で、登場人物達は次々と出て来て、その人物達が次々と主役になり話が変わって行くけれど、その人物は主役の様に話を回しておきながら、それ以降登場しなかったりで、結局は話が散漫になってしまった感が強い。ジェームズ・スチュワートが主役なはずだけれど途中一切出て来なかったり、急に出て来ては「そう言えば、この人の話だった…。」と思い出す位に存在が薄くなる。

この時代の西部劇なので、銃撃場面は日本の時代劇の切られるけれど「うっ…。」と言ってわざとらしく倒れるのと同じ様な、撃たれても銃痕は見えず「うっ…。」と言って倒れる、如何にもな西部劇。

話の序盤の射撃大会で、主人公のジェームズ・スチュワートが凄腕のガンマンだと示すのに、投げた硬貨大の穴の開いた飾りの真ん中を撃ち抜くとか、ちょっと漫画的過ぎてやり過ぎ。やっぱり真ん中に的中するのは「Bullseye」って言うんだな。

どうも全体的に話は流れてしまい、散漫な感じがする。銃を手にする人物達は、銃が次々と渡って行くという展開の為に、この話が終わったから次、また次へと行く感じで、その場だけの使い捨て感が強い。群像劇としては途切れ途切れの感はあるし、ジェームズ・スチュワートを主人公とする話では印象が薄れるし、「ウィンチェスター銃」と言う割には銃の存在感は薄いしで、全体的にどうにもいまいち。

☆☆★★★

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