妖星ゴラス

2012年10月19日 金曜日

本多猪四郎監督、円谷英二特技監督の1962年のSF映画「妖星ゴラス」。

地球の6000倍の質量がある謎の星ゴラスが地球目指して飛んで来るので、地球上の人々がてんやわんやになる。

最近で言うと「アルマゲドン」や「ディープ・インパクト」といった隕石飛来のディザスター・ムービーがあるけれど、その先駆けとも言える隕石飛来SF。それを日本中心で描いた映画。
いまだに初めから終わりまで見た事がないので確かではないけれど、「アルマゲドン」も相当無茶な映画だったはずだけれど、この映画はそれの更に上を行く、比喩ではなく、本当に宇宙をぶっ飛ぶ内容。「飛んで来る星が大き過ぎるのでどうしようない。だったらこちらが避ければいいんだ。」という事で、南極にロケット推進装置を設置して地球を移動させる方法を皆でやってのけてしまう。ここまで来ると真面目にSFやっているのか、コメディ狙いなのかさっぱり分からない。この発想は高度経済成長期バリバリの時だからなのか、単に日本的な子供向け漫画的発想だからなのか?。にしても凄い解決策。
更に、実際は全然違うのだけれど、終盤までハードSFの顔をして展開して行くのに、終盤で突如着ぐるみの巨大怪獣が登場してしまうのだから、もはや話的にも、映画の狙いとしても訳が分からなくなって来る。これが何かの展開にもならないし、無理矢理怪獣映画をねじ込んで来る意図って何だ?
初っ端からして、父親が土星探検に行くロケットが打ち上げの時なのに、娘はそんな事知らない風で泳ぎに行っていて、そんな大事な時に見送りにも行かず親子仲が悪いのかと思いきや「お父さんがんばってね~!」と喜んで飛んで行くロケットに声かけているし、早意味不明。妖星ゴラスの調査の為、ロケットで接近し過ぎて操縦士が何故か記憶喪失になるけれど、その記憶喪失がやっぱり何かの伏線や別展開を見せる訳でなく、テレビ画面に映された妖星ゴラスの映像を見て記憶復活しただけとか、何がしたいのか、何の説明の一連の話なのかさっぱり分からない事ばかり。ヘリコプターに乗って、宇宙飛行士の歌を歌う場面を結構長めに見せるのなんて、まさに意味不明。群像劇を描こうとして、とにかく色んな話があるという雰囲気だけをぶち込んだので、訳が分からなくなってしまった感じがする、非常にグダグダな脚本。
最終的に町のほとんどが水没し、地球上はほとんど壊滅してる様で、死者も沢山いるはずなのにそこは一切映さず、「また新しい東京を作ればいいじゃん!」で終わってしまう、この何の教訓めいた事も無く「我々は助かったからいいじゃん!」な締めって何なのだ?

ドラマ部分だけでなく、SFの設定部分も相当手ぬるい。この映画の製作年は1962年で、劇中の時代は1979年。約20年後の世界だけれど近未来SFじゃあなく、異様に科学技術が発展した平行世界SF。宇宙船は地球出発が9月29日で、土星到着予定が10月15日だから、大体16日で16億8320万kmを飛ぶのだから、大体平均時速420万kmってトンデモない早さ。更に人工重力もあるし、1970年代なのに凄まじい科学力。その割に宇宙船は外見る時は潜望鏡だし、航路計算は紙に物差しで線引いているし、全て有線通信だし、ヘルメットはフルフェイスではないし、科学力・技術力の不均衡さが半端無い。まあ、一番は地球に推進器付けて、公転軌道からずらすというのに、見た目火力が全然足りていないし、それ自体相当無茶だし。

役者は主役陣は知らない人ばかりなのだけれど、脇役やチョイ役で見た顔がチラホラ。平田昭彦、志村喬、西村晃、天本英世といった日本映画・ドラマの個性派や、「ウルトラマン」のイデ隊員役でお馴染み二瓶正也等が出ている。

製作費3億8千万円で、今との物価を考えると大体18億円位(消費者物価指数:1739.2【2011年】÷368.2【1962年】≒4.7倍)の当時としては大作映画で、しかもSF映画。その分特撮は結構お金もつぎ込み、上手く出来ていて、特に南極の場面は非常に大掛かり、大規模なミニチュアを使っていて、ミニュチュアによる特撮という部分では非常に見応えがある。それに驚くのは、ほんの少しだけ部屋から見える外の普通の町並みを模型やミニチュアで作り、そのミニチュアの車が走っていたりするから、何でそこにこだわるのかという位の円谷英二執念。

日本映画は以前は真面かどうかは別にして、こういった宇宙SFモノを作っていた、作れていたというのは、日本映画産業の隆盛が見て取れておもしろい。ただ内容は無茶し過ぎ。まあ、これをハードSFの顔して大作映画として作れていた時代を見るべきか。

☆☆★★★

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