博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

2012年05月28日 月曜日

スタンリー・キューブリック製作・監督・脚本の映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)」。

スタンリー・キューブリックの有名な映画、…と言うか、やたら題名が長い事でも有名な映画。なのだけれど、あんまりおもしろくなかった。ほとんどが会話劇なのだけれど、丁々発止のやり合いでもなく、頭のおかしい人達が自説を一方的に喋るし、演出も結構緩慢で退屈して来る。やたらと飛行機内の手順を詳しく見せ、どうなってしまうのだの緊迫感が削がれる感じがする。それに何より、1963年の映画なので、今見ると60年代的SFの今更感は強い。ブラック・コメディとしても付き切ってなく、その割に終盤急にコメディを押し出すのは何だろう?ロディオで爆弾投下とか、勝手に手が動くコントとか、本来の最後の場面はパイ投げで終り、試写で余計だと思ったキューブリックがカットしたらしいが、出来損ないのモンティ・パイソンじゃん。全体的に中途半端感ばかり感じてしまう。
あと、飛んでいる飛行機が背景合成で、ミニュチュアの飛行をピアノ線で吊っているのが丸分かりで、完璧主義者なはずなキューブリックの安い特撮は、現実じゃないという分かり易い見せ方なのか?それにしてもしょっぱい飛行機の飛行場面を何度も見せられていると飽きて来る。

60年代SF的、皮肉、批判は分かり易く前面に出していて、本当に軍人にしろ、政治家にしろ、やたらと強い権力を与えるとろくな事が無い。特に思想的に威圧的、他者を見下す人間には与えるなと言うのがありありとしている。それでも英雄だ、改革の指導者だと言って権力を与えるモンだから、今までもそんなクソな人間が持てはやされ、これからも人が大勢死んで行くのだろうけれど。その部分では今も変わらない題材を真っ直ぐに描いている。ただ、人間全てを滅ぼしかねない驚異の科学技術批判は、50年近く経ち、科学技術を謳歌している現代では少々古く、その破壊の脅威が個別的になり、全世界的脅威の話はどうしても昔のSFの題材になってしまうのはしょうがないか。

ピーター・セラーズは流石の一人三役。イギリス将校のマンドレイク大佐、大統領、ストレンジラヴ博士と、言われないと気付かない程の別人。ただストレンジラヴ博士は、コントの登場人物位のやり過ぎた感はあるけれど。

で、この「博士の異常な愛情~」という題名は何だろうな?別にストレンジラヴ博士は水爆を愛してもいないし、主役級で描かれる事も無いし。

60年代のSFという事を考えても、映画的に特撮は安いし、室内と屋外の映像感は違い過ぎるし、演出は結構退屈だし、そんなにおもしろくはなかった。

☆☆★★★

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