幕末太陽傳

2012年04月08日 日曜日

川島雄三監督の映画「幕末太陽傳」。

これ、喜劇らしいのだけれど、笑うという意味では特におもしろさはない。唯一クスッとしたのは、左幸子と南田洋子がギャーギャー言って喧嘩する所位。しかし、興味という意味でのおもしろさは結構ある。女郎屋の日常を描き、夜以外の細々とした支度から、日々の仕事がどの様なモノなのかを見せていて、この映画が落語から題材を取っている様に、落語で聞いて頭でしか見れない景色を映像化しており、そこが非常におもしろい所。この物語に普通の人は出て来ず、この時代でも特殊な人々ばかりだけれど、その場で何とか上手い事やって潜り抜けようとする力強い人々の話でもある。
しかし、売春宿、そこに潜むテロリスト、人身売買、計画的踏み倒し等々、今同じ題材でやったら相当悲愴な話なのに、時代が違うだけでこんな柔らかい話になるとは。
で、ずっとフランキー堺の咳で引っ張っていたのに、特に何にも無かったのは一体何なのだろう?隣り合わせの死の中でももがくという事だろうけれど、今見ると変な咳が出るから死ぬかもしれないというのはいまいちピンと来ない。それと、始まりは幕末だったのに、いきなり現代、と言ってもこの映画製作時の1957年の現代の品川が登場し、その品川が地方の小さな町位な事に物凄く驚き、結局現代がいきなり現れ、それ以後に現代との繋がりが何かある訳でも無く全くの謎。どうやらこの映画の最初の予定では、最後フランキー堺が墓場から走り出した先が現代の撮影所の外で、そのまま町の中へ駈け出して行くという訳の分からないモノだったらしく、それを反対されこの最後に落ち着いた名残らしいが、それだったら初めの現代の場面は何らいらないだろうし。

フランキー堺は流石に芸達者。この調子の良さの人物がすんなりと入り、活き活きと動いていて、この映画はフランキー堺による所は大。ただ陽気な人物なのだけれど、時々恐ろしい程の冷たい目を見せ、それが怖過ぎる。それに、ヘラヘラと取り繕い、人情深い面もあるのに、結局は周りの人間を上手く使い熟し、使い終わればシラッとかわす非常に乾いた人物でもあったりと、表に出て来ている人物と違う感じの裏の顔ばかり目立つ様になり、何だか次第にこの人物に寒気を感じていた。
他の役者も豪華。左幸子にしろ、南田洋子しろ、快活でしかも綺麗。梅野泰靖は歳行った落ち着いたおじいさんでしか知らず、この調子の良い若い馬鹿息子なのがおもしろかったり、おっかあさまこと菅井きんがこの時から変わらずおばちゃんなのとか、岡田真澄がこの中でも異人の日本人役な通り、若い時は今時の顔ばかり先に出る若手男前俳優よりも男前とか、石原裕次郎の演技が余りに下手くそで笑ってしまうとか、金子信雄や山岡久乃、小林旭も出ていて豪華。

暗くなり、真剣に扱う題材を軽い映画に仕上げているのだけれど、喜劇としてはそれ程でも無いし、喜劇なはずなのにドンドン暗く、影を見せて行く展開で、どちらにしても中途半端な感じ。しかし、フランキー堺の立ち回りとその演技で、群像劇だと思っていたら、フランキー堺が全部持って行ってしまい、フランキー堺が非常に光る映画でもあった。

☆☆☆★★

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