人はなぜエセ科学に騙されるのか – カール・セーガン

2010年12月16日 木曜日

カール・セーガンと言えばトンデモ本、トンデモ本批判本に度々出て来る名前なので、名前は知っているがセーガン関連では映画「コンタクト」を見た位。どんな人なのかも良く知らないので「人はなぜエセ科学に騙されるのか」を読んでみた。
 
 
この「人はなぜエセ科学に騙されるのか」という題名から、この本はエセ科学を一つずつ取り上げて反論して行く内容かと思っていたのだが、読んで行くとその題名と内容が微妙に解離しているのでどうもしっくり来ない。この本は「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」という題で出された単行本の文庫なのだけれども、この題もどうも内容と微妙に外れている。原題の「The Demon-Haunted World: Science as a Candle in the Dark(悪霊に憑かれた世界 暗闇を照らすロウソクとしての科学)」が一番しっくり、内容をきちんと表した題。まさに、迷信や怪し過ぎる話によって起きる間違いを科学的思考で見据え、それを減らせるのは科学だとセーガンは主張する。

で、その内容と言うと、上巻は「UFO」や「宇宙人の誘拐」、「セラピスト」、「秘密主義」、「魔女裁判」等々を批判していくのだが、これがちょっと押しと説得力が弱い。それはセーガン自身が「科学は証拠が大事」と度々言っている割に、出て来る話が「ある調査によるとこう言う結果が出ている。」といった具体的な名前や数字が出てこない事が多いのだ。もちろん具体的で詳しく書いてあるのもあるのだが、それが他人の本からの引用だったりするので、セーガン調査によるエセ科学批判本だと思って読んでいたのでどうも説得力が薄い様に感じられてしまった。
それに、話が散漫というのもある。ある話が続き、次の段落に行くと別の話になっていたり、章の最後で話がまとめられたと思い次の章に行くと前章の続きの話だったりと話があっちゃこっちゃ行って、エセ科学批判本ではあるけれど、むしろセーガンの科学についてのエッセイと認識した方が良いと思う。

しかし、読み進め下巻になると、セーガンが言いたいであろう事の核心に入って行き、話はどんどんおもしろくなって行く。「科学の方法」と「科学はエラー修正機能が働く」という科学の機能についての話の範囲が、単なるエセ科学批判だけでなく全てにおいて懐疑する事の重要性、教育、宗教、社会制度までにおよび話が展開される。ここら辺はセーガンの科学的思考への思いが非常に熱く書かれている。しかし、それが熱すぎて、様々な情報媒体を批判するのは分かるのだが、TVドラマの「X-ファイル」や「スタートレック」、子供向けのアニメーションまで「科学的で無い、エセ科学を増長させる!」と批判が及ぶと、「真面目すぎて頭が固いじいちゃん科学者」と思ってしまう。
その真面目さが、医療関係や宗教、報道だけでなく、科学者自身におよぶのは良い方向。自分達の研究の為資金を確保するには、より分かりやすく説明しないといけないし、世間の人々にもちゃんと伝えなくてはならないと叱咤激励するが、ここは今の日本でも同じ事が起きていて注目を浴び、どこの科学者でもある問題なのだと知らせる。特に水爆開発の物理学者エドワード・テラーの政治的な動きについての批判は苛烈。これの批判自体も科学のエラー修正機能が働いている事が分かる事例。
特に「魔女裁判」のおぞましい実態、実体を読むと、多くの人々へと社会への科学的思考の普及がいかに重要なのか、懐疑する事、批判する事が個人や社会にとって無くてはならないモノかが分からされる。

日本語版の改題に次ぐ改題で改悪されてしまい、題名から想起する内容のずれで初めはのめり込みが弱かったけれど、カール・セーガンの科学に対する熱心さと真面目さが伝わり、科学的思考とその必要性、そしてエセ科学批判本としてよりも、科学の表に出て来る現象だけでなく、科学の本質部分を説き、知らしめる非常に良い本。

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