2010年

2018年09月06日 木曜日

ピーター・ハイアムズ製作・監督・脚本・撮影、ロイ・シャイダー主演の1984年のアメリカ映画「2010年(2010: The Year We Make Contact)」。
映画「2001年宇宙の旅」の続編で、アーサー・C・クラークのSF小説「2010年宇宙の旅」が原作。

月面で謎の物体モノリスが発見された事により2001年に行われたディスカバリー号の木星探査だったが、乗組員は船長デビッド・ボーマン以外は宇宙船に搭載されたHAL 9000が殺害し、デビッド・ボーマンも消息不明となった。
それから九年後。ディスカバリー号による木星探査失敗の責任を取って職を辞したヘイウッド・フロイドの元にロシアの科学者が訪れ、ロシアの宇宙船が打ち上げられるので、そこにヘイウッド・フロイドも同乗しディスカバリー号の協同調査の提案を受ける。
ヘイウッド・フロイドはHAL 9000の製作者と共にレオーノフ号で木星へと向かうが、木星の衛星エウロパで移動している葉緑素を発見。しかし、何かによって調査は妨害されてしまい、再びディスカバリー号の調査へと向かう。
ディスカバリー号の船内でHAL 9000を再起動すると、ヘイウッド・フロイドの前にデビッド・ボーマンが現れ、「素晴らしい事が起きるので、直ぐにこの場を立ち去れ」と警告される。

わたしは「2001年宇宙の旅」を見たけれど、名作と言われてはいるけれど間延びしまくりで退屈だったし、色んな謎の説明をほぼ省いてしまって投げっぱなしだったので、映像では持っているけれど話的に全くおもしろくなかったので、その直接的な続編の「2010年」も大して期待せずして見た。
「2001年宇宙の旅」の分かり辛さの解消として、様々な事を説明的に描いてはいて分かり易くはなってはいるけれど「何じゃ、そりゃ?」な事は多く、終盤は結構腰砕けだった。

ディスカバリー号の調査が目的だったのに行き成りエウロパを調査して生命かもしれない存在があるとか言い始めたのに、それはほっぽり出してしまってディスカバリー号の話になり、序盤から「これ何?」状態。
これは最後の伏線となっているとは言え、急に出したのにその後全く出て来ずとか、展開としてどうなの?だし、そもそもあれだけ広いエウロパから毎分1mしか移動しない小さい物体を見付けたり、その物体が葉緑素を持っているのが分かるとか、他の科学技術は大して進んでいない様子なのにそこだけどんだけ進んだ科学技術持ってんの?と思ってしまうし、最後への伏線の為に相当無茶だし、ご都合主義なお手軽な展開について行けず。

そもそも導入のヘイウッド・フロイドが宇宙に行くまでがおもしろくないのに長くて始まりから捕まれていなかったけれど、最後の強引さに呆れてしまった。
モノリスが木星を恒星にしてしまったので、アメリカとソビエトは戦争を辞めました!とか全く意味不明。
まだ、アメリカとソビエトがモノリスを最大の脅威に感じて一時停戦し、モノリス破壊の為に宇宙開発や兵器開発をより進めたなら分かるけれど、この結末的にはアメリカとソビエトが平和的に仲良しになったという事?人間って、そんなに簡単で頭が悪いか?
この物語の結論がその説教臭くて安っぽい所に落とし込む必要があったので映画の製作当時の時代背景をそのまま未来に持って行き、今見てしまうと余りに古臭い事になっていると早い段階から思ってはいたけれど、それにしてもこの落ちは無いよなぁ…。

それにモノリスも映画では分かり難いけれど、どうやらエウロパにいた生命体の進化の為に木星を恒星にしたっぽいけれど、これも相当無茶苦茶。
木星とエウロパ間の距離だとエウロパは灼熱の星になるんじゃないの?と思うし、それよりも木星が恒星になったら他の惑星とのバランスがおかしくなって各惑星の軌道がグチャグチャになって地球の気候が大変動するだろうし、地球にも新恒星の光や熱が届いているのだから環境激変して全然めでたしめでたしじゃあないだろう。

このモノリスは「2001年宇宙の旅」では本当に謎のままで終わらせて、良く言えば色々考える余地があった、悪く言えばただの無責任な放置だったけれど、この「2010年」のモノリスは「人間よりも超越的存在なので、自分達のする事は絶対的に正しく、自分達の価値観や行動を他人に問答無用で押し付けて来る」という唯々迷惑な存在になっていて、またこれが非常に欧米的な上から目線で他人に価値観を押し付けて来る価値観をそのまま反映しただけの存在で、「2001年宇宙の旅」のモノリスから転げ落ちたしょうもない存在になってしまっているのもつまらない理由の一つ。
デビッド・ボーマンは親切にも逃げろと警告しているのに、モノリスに近付いた探査船は吹っ飛ばしたりして行動原理が良く分からない事からもモノリスをキリスト教の神的存在として描きたかったのかもしれないけれど、ほんと欧米のSFは結局そこに終着してしまう事が多いので非常に在り来たりにしか思えない。

あと、「2001年宇宙の旅」で謎のままだったHAL 9000の謎の行動も、実は二律背反する命令に板挟みになってという理由だけれど、そうなった時に人命を優先させる様なプログラムも組んでいない製作者が馬鹿なだけでしょ。
製作者の博士が切れてたけれど、いやいや、お前が切れられるべきで反省するべき。

映像的にも、ディスカバリー号に乗り込む時は宇宙服を着ただけの人間が宇宙遊泳でディスカバリー号に飛んで行く危なっかしさとか、レオーノフ号は一部分だけ回転して遠心力で重力を作り出している様なのに、それ以外だと思われる操縦席でも重力あるようだし、人が普通に歩いているのにペンだけ浮くとか、映像的SFが大分大雑把でお座なりなので白けたしなぁ。

レオーノフ号の造景やレオーノフ号の船内の見た目が映画「エイリアン」っぽいなぁ、影響されてるなぁと思ったら、このレオーノフ号の設計は「エイリアン2」に関わったシド・ミードだったからだと知る。
レオーノフ号がソビエトの宇宙船とは言え、「2001年宇宙の旅」の様々な造景とは大分雰囲気が違っているのも映像的に微妙な所ではあった。

この映画、「2001年宇宙の旅」から十六年も経って、わざわざ続編作る必要あったのかなぁと思わざる得ない映画。
「2001年宇宙の旅」の謎の説明はどれもしょっぱいし、欧米的価値観の自己肯定的な強引なめでたしめでたしとか、結構ハードSFな顔しておいて終盤でぶん投げてしまう感じに疲れてしまった。

☆★★★★
 
 
関連:2001年宇宙の旅

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