アメリカン・スナイパー

2018年05月01日 火曜日

クリント・イーストウッド製作・監督、ブラッドリー・クーパー主演の2014年のアメリカ映画「アメリカン・スナイパーAmerican Sniper)」。
実在した軍人クリス・カイルの自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」が原作。

クリス・カイルはアメリカ大使館へのテロを見てシールズへ入隊。
イラク侵攻で出兵し、凄腕の狙撃兵として「伝説」とまで呼ばれる存在となった。
しかし、アメリカに帰国するとPTSDが徐々に現れ始めていた。

この映画が「愛国映画」とも「反戦映画」とも言われている様で、確かにどちらとも見れる映画になっているんだけれど、それを主人公が何を考えて行動しているのかをはっきり見せないという見せ方で描いているので映画としては終始掴み所が無いままで終わってしまった。

主人公は初めの戦闘で子供を撃ち殺す事になってもその後大して悩まず、狙撃する為に銃を構えつつアメリカの妻と電話で楽しく会話していたりと、初めの時点でこの主人公は元々何かが欠けているサイコパスな人間に見えてしまい、その時点で戦争や帰還兵の問題や苦悩を描く映画の主人公としては付いて行けず。

そもそもこの主人公が何故シールズに入ってまで戦争に拘ったのかがよく分からず、全然話が入って来ない。
父親の教えで保守的な考えが元からあったのは分かるし、その後30歳までロデオをしていてテレビでテロを見て入隊する事を志願するのだけれど、担当士官に挑発的に言われたからシールズに入隊したという自分の意思の無さなのに、何故かシールズでの厳しい訓練に耐えているし、実際の戦闘でも文句一つ言わずに戦っている。
これって、アメリカのマッチョイズム的保守的考えの元で育った人間の意思の無さをいじっているのだろうか?
主人公が子供の時に父親から銃の使い方を習い、その経験があって凄腕の狙撃手になったけれどPTSDで壊れてしまったのにも関わらず主人公の息子にも銃を教えている姿を描いてもいるし。

この掴み所が無く、何を考えているのか見えて来ない主人公だけれど、実際のクリス・カイルを調べてみると映画とは結構違う。
実際のクリス・カイルは元々子供の時から軍人が将来の希望であったらしく、高校卒業後にロデオのプロとなったけれど怪我で諦めて、大学を中退して入隊。
それも特殊部隊を希望していたけれど条件が合わずにシールズへと入っており、この人物だと何故シールズへ入ったのかの理由が分かる。
劇中で主人公が戦う理由として「神、国家、家族」と言ってはいるけれど、主人公は肌身離さず聖書を持ってはいるけれど聖書を読まず、国の為とは言っているけれどその動機がいまいち分からず段々と仲間の為となり、妻との関係はドンドンと悪くなって行き…と、信念がある様で無い様でという分かり難い人物として描き、何処を見ているのか分からない虚ろな人物にしたという事はそこが見せたい部分でもあったのだろうけれど、こういう人物を見てもやっぱり話を引っ張る人物としては捕まれない。

それにこの映画の戦闘場面が結構酷い。
序盤は緊迫する狙撃場面が多く、中々おもしろかったけれど、敵の虐殺者という分かり易い中ボスを出して、虐殺者が親の前で子供の頭をドリルでくり貫いて殺して親も殺してしまうというわざわざ陰惨過ぎる場面を見せておきながら、主人公が虐殺者を倒したのも何だかすっきりとしない感じで終わらせてしまい、非常に映画的な虐殺者という分かり易い悪役出しておいてこれだけ?というガッカリ感。
虐殺者という悪を出すけれど、虐殺者に殺されそうな人々を主人公は助け出そうともしないし、悪と善という対比でもなく、悪と善の曖昧さを見せる訳でもなく、絶対的悪は存在するけれど善は曖昧という事なんだろうか?ここら辺は中途半端な感じで、アメリカの保守層向けへの善悪の曖昧さにしなかったのだろうか?

それになにより凄腕狙撃兵の主人公に対し、敵にも凄腕狙撃者ムスタファという、これまたB級アクション映画的な分かり易いライバル悪役を出して来るのだけれど、こんな敵を出せば最終的に主人公との対決になるのは見え見えで、こんな展開安っぽ過ぎる。

そして最後の主人公とムスタファの対決になるんだけれど、ここが一番酷かった。
主人公達は敵の掌握地帯の建物に陣を構えるのだけれど、建物の周囲はあれだけ敵兵が囲んでいたのに建物にやって来た時は装甲車で大きな音立てて乗り付け、敵に全く気付かれずに建物を掌握しており、まあ都合の良過ぎる入り。
主人公部隊の目的は狙撃兵の排除なのに部隊長は主人公に周りに敵が多過ぎ気付かれるので仕切りに撃つなと言うけれど、じゃああんた達は何しに来たの?だし、撃ったら敵がワラワラと湧いて来るけれど、何でそんな所に陣取っているの?だし、この場所取りはその後の展開の為だけの都合よさったらない。
主人公が銃を構えて待っていると敵の銃撃が真後ろからだと気付いて「しまった!」となるけれど、これってムスタファがアメリカ軍が掌握しているはずの地帯にこっそり忍び込んでいて壁を立てている部隊の真後ろを取ったというムスタファの凄さを表していて、アメリカ軍が間抜けだったという事なの?後ろだと気付いた時は、その間抜けさに笑ってしまったし、これも何か都合がいいだけの様な気もするし。
で、主人公がムスタファの位置を把握するのだけれど、それが何かの光の反射のキラキラ。
これって、わたしの映画やゲームからの知識だとスナイパー・ライフルのスコープの太陽の反射光だと思うのだけれど、ムスタファは銃をほとんど動かしていないのやたらとキラキラ反射しているのは何で?だし、そもそもムスタファと壁を建てている部隊の位置と主人公の位置的に主人公にはスコープの正面近くは見えないんじゃないの?
主人公がムスタファに向けて銃を撃つのだけれど、撃った瞬間に銃弾視点でスローモーションになる馬鹿馬鹿しさ。
この演出ってゲームだと結構あって、そこが盛り上がる部分だけれど、この映画では単なるやり過ぎ。製作側の悪乗りでしなかった。
主人公が銃を撃つと敵がワラワラ湧いて来るのだけれど、これがゾンビ映画や映画「スターシップ・トゥルーパーズ」のバグの攻撃みたいになり、あれだけの数の敵の撃つ銃弾は主人公部隊の仲間には全く当たらず、逆に主人公部隊の銃撃は綺麗に敵に当たって次々と敵を倒して行くとか、これまた安っぽいB級アクション映画になる。
最後も主人公が一人取り残されて回収車に乗れないという展開になるけれど、これも主人公が乗り遅れて敵に殺されるなんて展開になる訳ないのは分かるので、しょっぱい演出。
この一連の場面の安っぽさ、悪乗り感ったらない。
この場面って、本当にクリント・イーストウッドが監督したんだろうか?まるで若手の助監督辺りに、「まあやってみな。」でやらせたら、馬鹿馬鹿しいB級アクション映画になってしまったけれど、どうしようもなくなってそのまま残した感があるんだけれど。

その後は主人公が退役したらPTSDが発症して悩む展開になるんだけれど、全体的に戦闘場面の方が多く、主人公の帰国での違和感のそれまでの振りが物足りずPTSDの問題が結構急で、傷痍軍人達と交流したら突然PTSDが治まり良き父親になるとか、帰還兵の悩みの描きが物凄くお座なり。特に終盤の帰国後の展開は取って付けた様な描きの薄さ。

この映画、戦争を描いているけれど主張はあえて曖昧なままで、そこでは興味深いけれど、主人公目線で見ていても何を感じているのかが見えて来ないので話が入って来ないし、戦争部分は急に1980~1990年代に粗製乱造された安っぽいB級アクション映画みたいになって白けてしまい、そこでも捕まれず仕舞で、結局おもしろくない映画だった。

☆☆☆★★

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