チャップリンの独裁者
2013年04月16日 火曜日チャールズ・チャップリンが製作・監督・脚本・主演をした1940年の映画「チャップリンの独裁者(The Great Dictator)」。
第一次世界大戦で負けた国のユダヤ人の理容師と、アドルフ・ヒトラーに似せた独裁者の二役をチャールズ・チャップリンが演じ、第二次世界大戦下の狂気と迫害を皮肉的な笑いを持って描く。
この1940年という時代に、ナチスやアドルフ・ヒトラー、ユダヤ人の置かれた状況をパロディとして笑いで包みつつ、相当な皮肉を持って描いているのは凄い事は分かるけれど、ここら辺の事を直球で描いた後年の映画を何本も見てしまうと、チャールズ・チャップリンの一人舞台のドタバタが余計に感じられ、映画にまとまりが無い感じが強い。チャールズ・チャップリンの笑いの場面になると途端に話の流れがせき止められ、今までの物語の調子がそこで途切れてしまう。その笑いが場面に関係ある皮肉的笑いではなく、単にその状況でおもしろいと思ったドタバタを無理矢理挟んで来るだけなので、余分に感じてしまう。理容師と独裁者の物語の配分も悪く、こっちを進めたら暫くこっちと話は完全に分断され、対比になっている事を忘れてしまう。それに理容師と独裁者をチャールズ・チャップリンが二役で演じているのだから、「王子と乞食」の様な立場を取り替えてしまってのドタバタ劇になるのかと思いきや、それは急に最後の少しだけだし。やっぱり全体的な配分が変。
これを見て、何故チャールズ・チャップリンの笑いがつまらないか分かった。21世紀に置いては、チャールズ・チャップリンの笑いはすでに使い古された感が強く、その笑いを今更見せられても…と言うのはあるけれど、それ以外にも一つの笑いがしつこい。特に始めの独裁者の演説は長過ぎ。初めは皮肉的でおもしろいと思ったけれど、長く、しつこいので直ぐに飽きてしまった。
それに、やっぱりチャールズ・チャップリンは一人浮いている。彼一人だけコメディしてますよ感が強過ぎ、更に途中での彼の長い一人舞台が多過ぎて、その人物を見せると言うよりは、わざわざ時間を割いてチャールズ・チャップリンがおもしろい事をがんばってしているのを見せている感しか感じない。この映画が批判的に重い題材を扱っている分、相当浮いている様に感じられて仕方ない。
それに、今までドイツ語らしき言葉で話していたのに、行き成り英語で普通に喋っているのがさっぱり。じゃあ何で、今まで謎の言葉だったのか?単にトーキーだけれど、チャールズ・チャップリンが無声に慣れているから、無声映画的な笑いを入れ込んだという事か。
ただ扱っている題材は非常に本質を突いている。多くの人の不満のはけ口として、外国人や少数派や社会的弱者を迫害する事が簡単かつ即効性のある分かり易い解決方法だったり、それを誰かに認められれば人間なんて自己意識なんて持っていないとか、落ち目の国では大声で過激な事言った人間が持てはやされるけれど、そんな人間は適当に問題をこなしているだけとか、最後の演説含め大声の演説だけで人間はあっさり傾いてしまうという、扇動者とその自己が無い聴取者への批判だったり、権力者を批判しつつも多くの考えず流れるだけの人々の批判だったり、その部分では相当厳しく流石な所。ただ、だからこそ、今見てしまうと何にも笑えないチャールズ・チャップリンのコメディの独壇場が余計に感じられる。
やっぱりこの映画は、時代性とこれまでのチャールズ・チャップリンの作品と彼を知っていないとつまらないだろうし、この映画での笑いや構成に対する違和感は拭えない。特に最後のチャールズ・チャップリンの演説は、この時代の、このチャールズ・チャップリンだからは分かるけれど、急にただチャールズ・チャップリンの心情を延々と喋られても、物語とかけ離れた個人的表明でしかなく白けてしまう。全体的にそうだけれど、笑いも滑っていたり、必要無い所に入れ込んだり、二人の人物はバラバラで物語として一本のまとまりが無く、映画としては散漫な印象。今見てしまうと、チャールズ・チャップリンが好き勝手にやっているなぁ…という印象。
☆☆★★★