フラットライナーズ
2013年04月11日 木曜日マイケル・ダグラス製作、ジョエル・シュマッカー監督、撮影ヤン・デ・ボン、キーファー・サザーランド、ジュリア・ロバーツ、ケヴィン・ベーコン、ウィリアム・ボールドウィン、オリヴァー・プラット出演の1990年の映画「フラットライナーズ(Flatliners)」。
医学生達が臨死体験を意図的に起こし、それを経験した者が幻覚を見始める。
製作陣と出演陣は豪華で、役者はみんな若く、血気盛んな感じがあるけれど、見所はその役者達が若いという事だけかもしれない。
この映画、どうもしょっぱい感じしかしないのは、登場人物達が皆頭の悪い無軌道な若者でしかないから。臨死体験を起こそうとするのは単に興味があると言うだけなので、やっている事は違っても、調子乗って暴走したり、クスリに手を出す若者と大して変わらない。皆で心停止時間を延ばして行くのは、チキンレースと変わらないし。もっとそこら辺の動機付けを描かないと、単に馬鹿にしか見えない。
まあ、この臨死体験て、今見てしまうとやっぱり題材が古い。「トンネルを抜けると…」とか、「花畑の中で…」とか、「懐かしい人が迎えに…」とかって非常に西洋的。日本だと「三途の川が…」とか、東南アジアだと「閻魔が…」とか、臨死体験って地域や世代、その人の信仰に寄る所が大きい事を知っていると頭の中の話でしかないので、臨死体験で引っ張られても盛り上がらない上に、引きが全然無い。皆が幻覚を見始めるなんて、単に酸素が足りず脳に障害が出て来ているだけじゃん。それに、臨死体験をしてみて、その体験で本当に信じてしまうって、クスリをキメてラリッて「神を見た!」と言っている奴らと大して変わりないし。
それに、映画の構成も盛り上がらなさを加速させる。登場人物達が変わりばんこに臨死体験をして行き、その時間を延ばして行くという事で映画の半分以上を使っていて、本来描きたい部分であろう臨死体験後の不思議な出来事や、人物達の抱えて来た過去の描きが遅いので、そこまでが持たない。最終的に、今までキーファー・サザーランドを殺そうとしていた少年が突然微笑み、特に理由も見当たらないまま彼を許した風で終わるのも意味不明。
笑ってしまうのは、実はケヴィン・ベーコンがスケベだという事。ジュリア・ロバーツが心停止になり、ちゃんとアンビューバッグで酸素を送っているのに、わざわざそれを外して直接人工呼吸をしている。今人工呼吸じゃあないだろう。
何よりも笑ってしまうのは、吹き替え。当時まだ「24」前なので、キーファー・サザーランドの吹き替えが小山力也じゃあないのはしょうがないけれど、キーファー・サザーランドがこの当時まだ24歳なのに、吹き替えは40前の菅生隆之。キーファー・サザーランド老け過ぎで、全然合っていない。あと、ケヴィン・ベーコンの吹き替えが野沢那智なのも笑ってしまった。ケヴィン・ベーコンも当時32歳で、野沢那智は当時52歳。ケヴィン・ベーコンが喋る度に吹き出してしまう程合っていない。ウィリアム・ボールドウィンも当時27歳なのに、吹き替えの納谷六朗は58歳。この日本語吹き替え版の配役決めた人は一体何を考えていたのだろうか?吹き替えの配役で、これ程映画を駄目にする映画も珍しい。
臨死体験を題材にしているけれど、早い段階から不思議な部分は単なる脳障害でしかないし、青春映画であり、トラウマを解消する治療映画なので、「フラットライナーズ」と言う題名や初めの雰囲気は単なる肩透かしでしかない。やっぱり、出演陣の今と昔との違いを楽しむ映画かもしれない。
☆☆★★★