殺人者たち

2013年01月11日 金曜日

ドン・シーゲル製作・監督、リー・マーヴィン主演の1964年の映画「殺人者たち(The Killer)」。

二人の殺し屋に殺された聾学校の教師。しかし彼は自分が殺されると分かっても逃げなかった。彼が何故殺される事になったのか、事情を知らないその二人の殺し屋が彼の過去を探り始める。

始まりからして、この二人の犯罪者の逃亡劇の様な話かと思ったら、話が暫く進むと教師だった男は以前はレーサーだった事が分かり、そのレーサーが乗るレースカーのメカニックのレーサーの回顧話で進み出し、次は犯罪者仲間の回顧話で殺された男の生前の話が続く。始まりの雰囲気的にてっきり殺し屋二人のハードボイルドな話や、アメリカン・ニューシネマ的無軌道な犯罪者の話かと思ったら、レーサーだった男の恋愛劇からの犯罪者へと堕ちて行く話の中心になり、そこの話が長い事続き、そこで行くのかと思いきや再び二人の殺し屋の話になったり、この構成が非常に気持ち悪い一本の話の筋が通っていない感は強く、散漫で、結局はこの二人の殺し屋の話なんだから、レーサーの話はもっと小気味良く見せないとと思ってしまうのだが。

この映画、元々はテレビ映画だったのが上層部が暴力的と判断し劇場公開映画になったらしいけれど、それにしては暴力場面はあんまり見せないし、非常に安っぽい。殺しの場面は物陰に隠れて見えない、近距離から銃で撃ち殺すけれど、被害者は銃痕も一切無く、自分の掌に付けた血のりを自らの顔に塗りたくるというしょっぱさは、何かのコントかと思った。
それに元がTV映画で制作費が安い為なのか、外の場面でもスタジオ内のセットでの撮影だったり、そのセットでの場面もきっちり照明をあてて、1960年代の安いTVドラマを見ている様な安っぽさ。
脚本も、一人の回想場面のはずなのに、何故かその回想している人がいない場面が多く出て来て、じゃあそこはその人の勝手な想像じゃん…という事で、非常に白けて来る安さだし。
あと、レーサーとその彼女でカート競争する場面があるのだけれど、女性はセットのカートに乗り背景は合成で、今度はレーサーの方にカメラが行くと、その彼女が実際にカートで走っている映像が背景に流れる合成と、背景を合成していた場面が更に背景で合成になり、見ていても訳が分からず、クラクラして来る。
それにこのアンジー・ディッキンソンという女優、腕毛が思いっ切り生えていて、ガックリ引きまくり。
突然ロナルド・レーガンが出て来たのには笑ってしまった。この当時は普通の俳優で、その俳優がその後アメリカ大統領になった方が笑い話の様な感じではあるけれど、アメリカ大統領ロナルド・レーガンの方を知っている後年から見てしまうと、「大統領!何してんの?」と、彼の出演自体がコントみたいに思えてしまう。映画俳優でテレビ司会者が大統領になるなんて、アメリカだから有り得るし、楽しく見れたりもするけれど、日本でもクソの様な三流以下のクソテレビタレントが、政治家として持てはやされているのを見ると反吐が出る。

アーネスト・ヘミングウェイの短編小説が原案になっているらしいけれど、小説なら結構すんなり入る構成なのに、映画で、しかも二人の犯罪者の方が濃過ぎる人物なので、そっちが置き去りで進む話がどうにも気持ち悪い。それにやたらと車を走らす場面が多く、それがあんまり本筋と関係無いのに長いし、そもそもレーサーの方の話の方が全体の大部分を占め、しかも見せ方が殺し屋達と交互に細かくではなくずっと見せ続けてしまい、本来なら二人の殺し屋の調査を主軸に話が動いて行くはずなのに、むしろそっちがオマケ程度の扱いと長さで、結局この映画は主軸の置き方がブレてしまっている様に感じてしまった。

☆☆★★★

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