少林寺
2015年11月18日 水曜日張鑫炎監督、リー・リンチェイ主演の1982年の中国・香港映画「少林寺」。
隋の時代、力を持って支配する王世充に父親を殺されてしまい、何とか彼等から逃げ延びた小虎は少林寺へと辿り着いた。
小虎は少林寺の人々に介抱され、父親の復讐の為に少林拳の修行を始めるが基礎訓練ばかりで復讐を焦るばかり。
師匠の忠告も聞かずに王世充の下へ一人で乗り込んで行った。
この映画、昔見たはずだけれど中盤のリー・リンチェイ一人での少林拳の演習位しか憶えておらず、話自体は最早知らない状態で見た。
これが非常に王道な少年の復讐譚と成長譚で、まるで少年漫画みたい。
父を殺され、辛うじて逃げた先の優しい師匠と仲間達に囲まれて修行。
思い余って一人で仇敵に挑むけれど、まだ相手の方が強くて逃げ帰って来る。
その間に師匠の娘との恋模様も描かれたり。
そして本気で修業して強くなり、偶然助けた人が後の皇帝で彼の力もあってその地を荒していた仇を倒せた…と、まあキッチリとツボを押さえた王道な話で分かり易く、何より五年連続で武術大会で優勝したリー・リンチェイ始め、本物の武術家達を集めた彼らの技を見せる映画として変に凝らずに邪魔にならない話ですんなりと見れる。
ただ、昔の香港映画にある脚本に変な穴を感じる部分はあり、例えばリー・リンチェイは元々強く、それは父親が非常に強い人だったからなんだけれど、この父親が一体何者で、リー・リンチェイは彼から武術を習ったとかが一切出て来なかったり、リー・リンチェイが先生と呼ぶ人も追われて少林寺に隠れたらしいけれど、その人に少林拳を教えた人は誰なのか?とか、皇帝となる李世民が何時も一人で行動して敵に追われているけれど何してるの?何で部下がいないの?とか、描かれない部分が多くて見ていてもつまづく所がある。
あと、今見ると物凄く違和感を感じる部分も。
序盤のリー・リンチェイが誤って娘さんの犬を殺してしまったので埋めたけれど、やっぱり食べてしまうのはいいんだけれど、大事な犬を殺されて食べられもしたのに、それをあっさりと赦して、更にはちょっとリー・リンチェイに惚れた感のある娘の身替わりの早さの違和感だったり、師匠が屁理屈こねて少林寺の皆して犬を食べちゃったりする仏門の道の人達の適当さに戸惑うばかり。
この師匠何だかんだ言って戒律を破る事を良しとするし、少林寺の偉い僧侶達も散々「殺生はするな!」と何度も言っていたのに、終盤で自分の身が危なくなると「悪人の魂を冥土に送ってやれ!」だの、「皆殺しだ!」だのと、一番その人の真価が問われる危機において速攻で心変わりしてしまって、あの一番仏門の道を体現していた官長でさえ自分の死において急激に過激派になってしまうのは驚いたし、トンデモない掌返しに笑ってしまった。
これって、「宗教家は何だかんだ偉そうな事言っているけれど、結局はこんな者なんでしょ…」と言いたい黒い皮肉的な笑いなんだろうか?
こういう復讐モノで仏の道が出てくれば大抵最終的には「憎しみは何も生まない」とか、「怒りに打ち勝って、復讐を越える事が出来なくては駄目」等の悟りの境地に近付く感じで大団円を迎えるモノだと思っていたら、最後までリー・リンチェイの憎しみの復讐は貫かれ、おっかない顔して仇を殺して終わりって、見ていても「えっ?それで良いの…?」と違和感ばかり。
要は「武術を見せる映画だから様々な武術が入り乱れる事こそ重要でそこら辺はいいじゃないの」と言う事なんだろうか?
昔の香港映画だからか話はそんな感じだけれど、何よりこの映画は武術。
このトンデモない武術の見本市を見れれば話はどうでもよくなって来る。
ワイヤーアクションも無し、スタントも無しなのにこの驚くべき動きには目を見張るしかない。
特にリー・リンチェイの動きはキレッキレで、中盤の一人での演武はその動きの凄さに笑ってしまった。
これが映画初出演だから演技は全然だけれど、本物の武術は人間業を超える。
特に棍や槍を持たせたらその動きや留めの形は物凄く綺麗。
これ以降もリー・リンチェイの武器と言えば長い棒の印象が強い。
こんな凄い武術を見せるリー・リンチェイだけれど、まだ19歳なので顔が可愛らしい。
この動きに対してこの可愛らしさだとさぞモテただろうと思うだけの魅力はタップリ。
この映画、話は粗い部分は多いけれど王道の少年漫画っぽい復讐譚で、そこに縦横無尽に様々な武術が飛び交うのだらかこんな楽しいアクション映画は無い。
以前この映画を見た時には、すでにジャッキー・チェンの映画を沢山見たし、ブルース・リーの映画も見ていたけれど、功夫映画と言えばリー・リンチェイとなる位の素晴らしい動きに惚れ惚れした。