100分de日本人論

2015年01月18日 日曜日

年末年始のテレビ番組って、年末年始のゴタゴタで見れないので録画しておいても、何時ものバラエティ番組やドラマや映画、それに一月はNFLのプレイオフが始まって、それも見るし、正月番組って二時間当たり前、三時間四時間とか長時間になるので見る時間を作って見て見てもまだある状態で、どうしても遅れて見てしまう。「絶対に笑ってはいけない大脱獄24時」も全然見れていないし。

そんな中で、伊集院光が出ているので毎週見ている「100分de名著」の正月特別編「100分de日本人論」を見たけれど、これが「100分de名著」とは比ぶべくもなくつまらなかった。まあ、「100分de名著」でもおもしろい回とつまらない回もあるんだけれど。
そもそも日本人論って、細かな個々を積み上げての全体論を言って行くならまだ分かるけれど、決して大多数でもない目立つ部分を取り上げて「俺はこれが言いたい!」という結論が先行している様な感じがして、わたしは胡散臭くて大嫌いという前提があるにしても、「100分de日本人論」は微妙。
「100分de名著」ではその本がどういう時代や社会の中で書かれたのかを説明しながら徐々に内容を紹介して行き、それを読んでいない人として分かり易く身近な話を交えて解説に持って行く感じで喋って行く伊集院光という慣れた構図で見てしまうと、「100分de日本人論」は各人が紹介する本を導入として、その人が言いたい日本人論を100分でそれぞれ話して行く形なので、本を紹介しているのか、その紹介している人の主張を聞かせたいのか分かり難いし、四冊を四人の別人がそれぞれの話を展開して行くので番組としては長いのに散漫。

それに、日本人が語る日本人論の酷さも露呈していた。斎藤環という精神科医が「オリジナルの擬声語は日本の漫画にしかない。アメコミの擬音は決まっている。」と言ってしまう。あーあ、これ「日本人は独特だ!特殊だ!」と言いたいが為に出して来たんだろうけれど、アメコミの擬声語は有名所でもウルヴァリンの爪を出す時の「snikt」は?
スパイダーマンの蜘蛛の糸を出す時の「thwip」は?
ナイトクローラーの瞬間移動時の「Bamf」は?
「コミック・ブックの奇妙過ぎる21の擬音21(Weirdest Examples Of Comic Book Sound Effects)」なんて擬音の変さをいじる記事も見付けたし、逆に日本人論の胡散臭さが露呈しただけじゃん。
こういう細かい所に引っ掛かると、次々と「それって日本だけ?外国にもあるんじゃないの?」と思い始め、そう思ったらそこでお終いだし、外国との真面な比較も無しに「これは日本独特!」なんて日本人論をしても全く信用性が無くなってしまうだけ。
こういう日本人論をする時は、海外文学や文化や社会に詳しい外国人、もしくは日本人のその分野の専門家を大勢入れて、「それ、何処何処でもありますよ。それは欧米でも、アフリカでも、中東でも、アジアでも、オセアニアでも、何処何処の村でもありませんね。」と潰して行かないと、結局日本人論なんて「俺様の印象論」なだけ。
番組の始まりも「日本人は流行に流される。列を作って並ぶ。」とか個人の印象の典型みたいな所から始まっていたけれど、番組も終始比較も反論も無い個人の印象論ばかりでつまらなかったので、やたらと早送り、途中からはほぼ見流した。

それにこの番組、何故か通常の「100分de名著」の映像とは違い、コマ数を少なくしたのかの様な映画みたいな映像にしていたり、前の人はピントが合っているのに後ろの景色はぼやけていたり、人物一人だけを映していても微妙にカメラを動かしていたりと、このカッコつけの映像が鼻について、「普通の映像で見せろよ!」とイライラ。
あと、今回の「100分de日本人論」でもあった「100分de名著」のいらない演出がどうしても嫌い。何回かに一度、その回に取り上げている本を役者が朗読するのだけれど、これが本当にいならい。ベテラン俳優の朗読でも、テレビでの演技ではなく朗読していますよ的な少々大袈裟感があってあんまり好きじゃないのに、若手俳優になると「演技していますよ!気持ち込めて朗読していますよ!」感がうっとうしくて、この場面になると早送りしてしまう。チェーホフ「かもめ」の回なんか酷かったなぁ…。役者の演技もあるんだろうけれど、ミニシアター系的な狙った演出にへどつきそうで終始早送りだったし。

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