インド・マレガオンのスーパーマン

2013年10月25日 金曜日

インドのI-pot Filmsが2008年に制作したドキュメンタリー「インド・マレガオンのスーパーマン(Supermen of Malegaon)」

インド西部のマハラシュトラ州の町マレガオンで、お金は無いけれど映画に対する情熱でこれまで趣味で自主映画を作っており、今度はスーパーマンのパロディ映画を作ろうとする人々を追った、その映画のメイキング的なドキュメンタリー。

正直な所、このドキュメンタリーで何を見せたいのかよく分からない。「インド・マレガオンのスーパーマン」の自主映画のメイキング以上のモノが無く、インドの社会やそこで暮らす人々の日々の生活と貧困とかの話はほんの少し。ヒンディーとイスラムが交じり暮らすこの町では映画を撮るのはイスラム教信者が多いと言うのだけれど、それが何でなのかは一切わからず仕舞い。「学が無いから貧困に陥り、貧しいから教育を受けれない」と言うけれど、それがこのドキュメンタリーの主題とはあんまり関係無く、貧困がどうのこうのという話でもないし。ほとんどが「お金が無い中、こんな工夫して映画作っています。」の紹介映像。それも台車やバイクにスーパーマン役の人を乗っけて撮影しているとかはほのぼのしているけれど普通だし、クロマキー合成してパソコンで編集していて、アフリカとかの最貧困の国なら何か訴えるモノを見るけれど、IT大国と言われるインドだと、これがそれなりにあるのか珍しい風景なのか、どういう社会状況で、どういう制作者側の意図なのかが読みにくい。
映画製作の問題が続出するのは定番の事柄だけれど、それも足を滑らせてカメラを水の中に落としたとか、スーパーマン役の役者が撮影後に直ぐ結婚式があるから急いで撮影しないと…とか、非常にほのぼの。
ほのぼのしてはいるけれど、常に引っ掛かる部分が付きまとう。この映画を撮っている人は、「以前にインドの人気映画を自分の町マレガオンに置き換えた続編を撮って上映して人気が出たので、今度は「スーパーマン」のパロディコメディを撮る!」と言ってはいるけれど、自主映画だから前の映画にしろ、今度のスーパーマンにしろ無許可なはずで、ドキュメンタリー内ではそこには一切触れずに進み、現在の日本の喧しい権利者の代理人の「お前らは泥棒かもしれないだろ!」という著作権収入云々に慣れていると、ここでは映画というモノがどうなっているのかの疑問ばかり。

このドキュメンタリー最後に、中で作られた「インド・マレガオンのスーパーマン」の本編映像が流れるのだけれど、これが非常に微妙。ドキュメンタリーを見ていれば予想が付く事だけれど、下手をすると世界で普通に上映出来る品質を持った映画…にはなっておらず、高校生が乗りで作った出来程度の映画というか映像で、云々カンヌンで言うモノではない、至って自主映画的な自主映画な上に、ドキュメンタリー上映前のNHKのアナウンサーが「ダイジェストでお送りします。」と言っていたので、どうやら全編を流した訳ではなく、しかもその編集が適当なブツ切りでグッタグタの訳の分からない状態で酷いモノに。ドキュメンタリー内ではスーパーマンとヒロインが歌に合わせて踊るという、如何にもインド映画な場面があったのに、それすらない。
真面目風なドキュメンタリーの後に、出来上がった本編見たら「うわ~…。」となるズッコケを狙ったコメディなのかと思ったら、それすら満足に出来ない編集にしかなっていない。多分、ドキュメンタリー買い付けて、そのドキュメンタリー内で出て来た映画を見てみたら「これは駄目だ…。」と思ったNHKの社員が、映画が駄目な事がバレない様に無茶苦茶端折ったダイジェストにしてしまったんだろうと思う。真面に見せないならダイジェスト流す必要も無いし、真面に見せるダイジェストも作れず、ただただ酷い仕事。

ドキュメンタリーはただのメイキング。本編を真面に見せないという、何とも酷い出来でガックリ。しかし、上映後のアナウンサーの解説が何より衝撃的だった。アナウンサーが「スーパーマン役を演じた方は、一昨年病で亡くられました。」と言って、あっさり番組が終わってしまう。余りの衝撃的な事実に「ええ~!?」と驚いた。そんなに簡単に片づけてしまっていいの?だったらそここそを含めて完成したドキュメンタリーになるんじゃないの?この事実を知ってから、その一言でドキュメンタリー自体も意味の違ったモノにしてしまうのに、物凄い後付けと言うか、適当な締めは何だ…。

☆★★★★

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