10の世界の物語 - アーサー・C・クラーク
2008年04月12日 土曜日一月前程、インターネットのニュースでアーサー・C・クラークの死去を知った。
驚いたのはSF小説の黄金時代とも言われている時代の巨匠が、21世紀に健在だった事。
1940年代から活躍していたから、はるかな偉人級の感覚で思っていた。
しかし思えば、最近レイ・ブラッドベリが新刊を出していたし、この年代のじいちゃん達はSFし続けていたんだなぁ…と。
未だに地球外生命体すら確認は出来ていないが、技術的発展凄まじい21世紀にクラークは何を見ていたのだろうかと思う。
そこで本棚を眺め、アーサー・C・クラークの短編集「10の世界の物語(Tales of Ten Worlds)」を出して来、読んだ。
クラークの印象としては、「堅い科学技術だがこっそり情を忍ばせ、読後は心地良い話」を書く小説家。
この短編集もそういう話が多いのだが、これがいまいち。
毎度の「地球外での事件。それが何とか解決しましたよ。」でちょっと期待を裏切らない。
笑いで落とそうとしているのもあるが、どうも硬すぎでニヤッとしなかった。
堅い科学技術は当時の最先端でも、今見るとそれが引っくり返されている事があり、そこでつまずいてしまう。
しかし、アーサー・C・クラークと言えば「2001年宇宙の旅」よりも、「通信衛星の提唱者」でお馴染み。
それをネタに愚痴から始まる笑い話かと思いきや、現実と虚構の中を行く、真に先を見据えた「思いおこすバビロン」は良く出来ている。
ただし現在非常に上手く活用しているのは、直球で分かりやすいソ連ではなく、アメリカ自身という現実のオチは皮肉すぎ。
また、動物の死と飼い主という、興味すら起きない最近の邦画で良くある題材の「ドッグ・スター」はむしろ、非常に論理的で理性的なのだが、切なさが染み込んでいて、これこそわたしの印象のクラークのお話だった。
また「軽い日射病」は飛んでるサッカーの勝負のつけ方で、これは愉快では無いが愉快。
どうも、短編集としてあれやこれやの様々な題材、ではなかったので多面的な興味という点ではいまいちだが、この人きっちりしてるんだなと思い、やはり全面的でない情の忍ばせ方が心地良い人だったんだなと関心。
しかし、この短編集「10の世界の物語」なのに15編入りだし、何が10の世界なのか分からずじまい。