泥の河

2012年05月12日 土曜日

宮本輝の小説の映画化「泥の河」。

1955年の大阪の安治川(弁天町の北側辺りか)の子供の日常を描いた映画。
今だとこの手の戦後の昭和を描くと「古き良き時代」モノになり、まあ見ていても「ふ~ん…。」と思うか、美化し過ぎで白けまくるか、つまらない事が多い。わたしは「古き良き~」の感覚が弱くて、「古き悪しき~」の方が強いので、この映画の「嫌な時代だったなぁ~」という出来事を見せつつ、特に声高に叫ばず見せる感じは良い。「スカみたいに死んで行く。スカみたいにしか生きられへん。」と言う台詞は、この映画の大人の主題を表した台詞で、結局今でもそこなんだと頷く。
この映画の主役の子役は、如何にも演技していますな演技で、見ているとイライラして来る。この主役の子より友達の子の方が自然な子供の感じで、途中からはこっちの友達の方が演技的にも注目的にも勝っている。ただ、主役の子に対する普通な子供の行動、じっとしてただ見てるとか、落ち着きが無いとかの演出は自然な感じで良い。ただじっと見つめている子供の顔をただじっと映しているのは、何とも言えず、言える言葉を持ち合わせていない子供を見せるだけではっきりと示さず、見ている方が思いを寄せる演出で素晴らしい。
他の大人の役者は、ネイティブの大阪弁を話す人ではない人が多いので、大阪弁の舞台劇を見ている大袈裟な喋り方で大阪弁がわざとらしくて仕方ない。田村高廣の演技は、普通な思いやりのある大阪のおっさんで良いのだけれど、現在の大阪弁の感覚で見るとどうしてもわざとらしく感じる。そのコテコテ加減が自然だったのか、それとも1980年代の演技の大阪弁なのか?テレビによる方言の平均化が始まる50年以上前の大阪弁はどんな感じだったのだろうか?
1981年の映画で、1955年の大阪を描く時点で、開発激しい時代の中で、舗装道路、電柱はコンクリートと無理があるけれど、最近の如何にも作られた戦後の雰囲気やセットに比べたら非常に良く出来ている。

初めはどうなんだとそれ程でも無いのだけれど、段々とこの無常観が漂い、静々と魅せる演出に目が離せなくなり、心にゆっくりと差し込む重さで物凄い強い印象を残す。人は行き成り良く死ぬし、売春がすぐそこにあるし、今の感覚だと普通な日常の一風景ではないけれど、日常を切り取って見せたこの切なさが何とも言えず、非常に素晴らしい映画。

☆☆☆☆★

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