悪魔の手毬唄(1961年版)

2012年04月02日 月曜日

高倉健が金田一耕助を演じていた1961年の映画「悪魔の手毬唄」。

これは酷い。
凄いのはその高倉健の金田一。登場からして行き成りスポーツカーに乗り現れ、格好は高倉健そのまんまの何時もの短髪、ジャケットに中のシャツの首元は開け、中からスカーフが覗き、煙草を吹かす。皆よりも頭一つ背の高い、カッコ良過ぎる男前な印象はまるで石田純一。原作の面影も無い、この無茶苦茶な金田一耕助は一体何なんだ…。雰囲気は金田一耕助と言うより明智小五郎。しかも終盤に来て、行き成り美人秘書が登場。登場の意味が全く分からない登場。製作陣上層部からの何かの横やりなのか、誰かの思い付きなのか。
やたらと多い説明台詞に、突然一回だけ入る状況・心理説明のナレーション、場所は岡山県なのに地元の皆の喋りは江戸っ子みたいだし、しょっぱ過ぎる。皆わざとらしい演技だし、この時代と言うか、1990年代頃まで続く若手女優のあの変な喋りは何なのだろう。
脚本家は原作の話を人から聞いただけで読まずに脚本を書いたらしく、話も原作とは全然違うし、悪魔の手毬唄である意味も全く無いし。ただ、金田一耕助シリーズの「推理と言うより事情説明したら、重要人物は皆死亡」は守られている。

それまで数年毎位に作られていた金田一耕助の映画も、見事にこの映画で打ち止め。14年後の中尾彬(!?)まで作られる事も無し。監督は早撮り監督渡辺邦男だし、日本映画黄金期末期のとにかく映画濫造だった期のあだ花を象徴する様な映画。

☆☆★★★

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