PLANET OF THE APES/猿の惑星

2026年10月26日 月曜日

ティム・バートン監督、マーク・ウォールバーグ主演の2001年のアメリカ映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星(Planet of the Apes)」
1968年の映画「猿の惑星」を元に新たな映画として作られた映画。

2029年。アメリカ空軍の宇宙探索基地が調査をしていた土星付近で磁気嵐に遭遇した。
遺伝子操作をしたチンパンジーが探査ポッドを操作して調査に出るが消息不明になってしまう。
そのチンパンジーを心配したレオ・デイヴィッドソン大尉は上官の命令を聞かずに探査ポッドでチンパンジーの探査ポッドの捜索、救出に出るが、磁気嵐の中で何かしらの現象に飲み込まれて探査ポッドが操作不能になり惑星に不時着してしまう。
そこでは自分達の社会と文化を持ったチンパンジー、ゴリラ、オランウータンに似た猿達が人間達を奴隷として扱っており、レオ・デイヴィッドソンもその惑星の人間達と共に猿に捕まってしまう。
猿の中にも人間に同情的な者もおり、議員の娘であるアリの協力を得て猿の町から抜け出し、墜落した探査ポッドから通信機器を手に入れると母船がこの惑星に来ていた事を知る。
レオ・デイヴィッドソンはアリ達猿と仲間になった人間達と母船を目指す事にするが、そこは猿達が創造されたと信じられている禁断の地であり、彼らを追って猿の将軍の軍勢が追い掛けて来ていた。

Amazon プライムビデオで猿の惑星シリーズが一気に配信終了となる予定だったので、2010年代以降の映画を見ていないので見たいと思い、だったら以前の1970年代の初めのシリーズを見てから見てみようと思ったものの、何故か一作目だけが見放題には入っていなかったので、しょうがないので二作目から見始めて五作目まで見終わり、じゃあと言う事で見たこの映画。

確か、この映画が公開された当時に映画館に見に行った様な記憶があり、その時に「ティム・バートンなのに普通…」と思ったはずで、今回改めて見てみてもおもしろくない訳ではないのだけれど、やっぱり「ティム・バートンなのに普通…」だった。

ティム・バートンと言えば、毎度登場する人々が、特に主人公は社会の真ん中の道から外れた人で、その人達の生き様を見せる様な映画を撮る人で、最近もたまたまテレビで放送していて少しだけ見た映画「ダンボ」でも家族向け映画だけれど同じく世間から外れた人に対する愛が溢れていて、しかも映像が薄暗く、しかもマイケル・キートンやダニー・デヴィートが出ていて、しかも音楽はやっぱりダニー・エルフマンだと知り、その変わらなさ、同じ事をずっとしている事にちょっと笑ってしまったのだけれど、そんなティム・バートンが「猿の惑星」という元々ティム・バートン的な特殊な設定の映画を撮るという事で当時も話題になったはずで、それで見にも行ったはずなのに出来上がった映画は普通のハリウッドのブロックバスター的な映画でしかなかった。
一応、この映画の何年も前から何度も何度も企画されては脚本が書かれては企画が流れてしまい、ティム・バートンの所に話が来た時には20世紀フォックスが公開日を決めて、そこに向けて短時間で予算も削られて作るしかなかったからという話があるらしいのだけれど、それにしてもティム・バートンらしさが少なくて物足りない。

ヘレナ・ボナム=カーター演じるアリが、議員の娘でありながら人間に同情的で人間を救おうとしている異質な猿で、ティム・バートン的ではあるのだけれど、何故そういう人物なのかの背景もほとんど無くて序盤の展開の為だけの人物で中盤以降は活躍や存在意義も余りないし、何より主人公のマーク・ウォールバーグは何だかよく分からない状況から抜け出して母船を見つけ出そうとするよくあるハリウッド映画の主人公でしかなくて、人物としては非常に薄い。
ティム・バートンの映画と言えば話の展開を見ながらも登場人物の置かれた立場や心情を見るおもしろさがあるのに、そこが殆ど無くて、逃げる主人公側と追う将軍側の行動と何故猿の惑星なのかを説明する為の展開ばかりで面白みが無い。

話の方も、猿の惑星なのでどうして猿の惑星になっているのか?が気になる所ではあり、一作目の「猿の惑星」は最後に一気にドンと映像で見せ切ったので衝撃的だったけれど、この映画ではちゃんと説明しようしているけれど一作目の「猿の惑星」以降の映画の伝統でもある説明の弱さが変わらずあり、突っ込み所は沢山。
一番最後に磁気嵐に飲み込まれた母船が数千年前に一番先に墜落し、母船にいた猿達が人間に反乱を起こして惑星に住み着いて支配する様になったという事なんだけれど、まず、これまでの映画でも思った、猿が数千年程で人間みたいまでに進化するの?という部分がある。
これは旧作では説明不足だったけれど、最早現実の猿とは違う元々そういう性質を持っていた別種の別生物として納得させるしかないのと同じく、この映画では遺伝子操作されているとは言っていたけれど、やはり遺伝子操作された位で数千年であそこまでになるとは思えないので、この映画の世界でも元々別種の別生物だと思うしかない。
この世界でも犬猫が死滅したと言う旧作と似た様な話になっているし、2029年であれだけの宇宙関連の技術があるので旧作と同じ様な歴史になっているのかもしれず、やはりそもそも現実世界とは結構違う別の世界の設定になっている様に思う。
それに、アリは主人公を気に入っていたと言う以上に好きだった感じで、最後に二人がキスしているので猿側にも人間に対する性的な興味はある様で、そこから獣姦や逆の人姦を思い浮かべてしまい、現実だと有り得ないけれど遺伝子操作された事や最早別生物だと思ったら猿側に人間の血が混ざったからの人間的な変化なのかもとも思ってしまった。

あと、確か初めの母船にいたのはチンパンジーだけの様な気がしたけれどゴリラやオランウータンも母船にいたのかしらん?
何よりあの土星近くの宇宙探査に馬も持って来ていたの?とは思った。

人間の方は母船の人間が猿に襲われて全滅したと思ったけれど、そうではないのか?
そうでないとあの惑星に人間がいるのは有り得ないか。
人間側は会話も対話も出来て道具も作れ、繁殖力も高いと言われているのに何で猿に対抗しないのかは都合が良い。
これも母船の生き残りの少数の人間の子孫だけなので近親相姦に近くなって遺伝子に何か問題が出て来て知能が退化したという事なのかとも思ってしまった。

それにこれは続編が作られなかったのでどうしようもないのだけれど、あの最後の落ちは一作目以上の落ちを狙って外した感が強かった。
ただ、以前に見た時に知ったのはこっちの方がピエール・ブールの原作小説の「猿の惑星」には近い事で、「へ~、そうなんだ」とは思ったけれど、この後の続編はどういう展開にするつもりだったのだろう?
母船も主人公が乗って来たポッドも壊れているのに将軍がどうやって惑星を脱出して地球に行け、主人公が生きていた時代とほぼ同じ文明や技術力なのに猿が支配している世界になっている設定をどうこねくり回すつもりだったのだろう?

おもしろかったのは惑星に降り立った順番で、一番最後に磁気嵐に巻き込まれた母船が一番初めに数千年前に墜落し、二番目に巻き込まれた主人公が二番目に墜落し、一番初めに磁気嵐に巻き込まれたチンパンジーは一番最後に無傷でやって来るという逆になっていた事。
猿達の起源を説明したり、最後にデウス・エクス・マキナ的に登場するチンパンジーの説明になって、上手いタイムパラドックスの利用の仕方と思った。
チンパンジーのポッドが無傷なのも、初めにチンパンジーはまだまだという振りを見せておいてからの実は一番操作が上手かったのがチンパンジーだったという皮肉的な落ちにもなっているし。
ただ、母船も主人公のポッドもほぼ操作不可能で墜落しているのに何故チンパンジーのポッドだけ無傷だったのか?は分からないし、猿が信じていた何時か猿が再臨するという信仰も何処から、何の理由で始まったのかは謎で、この騒ぎの収拾する展開の為に後から取って付けだけの感があるし、後から思うとデウス・エクス・マキナで収拾って一番しょうもない落ちではあるし。

他に興味深かったのは猿達の種族の扱い。
旧作ではチンパンジーは理性的で平和的。
ゴリラは好戦的で権力志向となっていたけれど、現実のチンパンジーは何か気に入らない事があれば群れ同士が戦って殺し合う凶暴さがあり、ゴリラは意外と繊細で臆病で、ドラミングもあっち行けの警戒行動だったりと反対になっていたのが、この映画では猿も猿それぞれで、やたらと攻撃的なチンパンジーもいれば、ゴリラは攻撃的な者から自制的な者もおりと種で分ける訳でもない非常に人間的になっていて、これは旧作の映画よりも良かった。

それからこの映画の一番の見所がリック・ベイカーの特殊メイク。
旧作は流石に時代で人が猿のマスクを被った感じは否めなかったけれど、この映画の猿達の特殊メイクが非常に良く出来ていて、猿と人の間の猿寄りの顔作りが素晴らしく、皆表情豊かで現実味が高かった。
ただ、女性猿は可愛らしさの出し方が狙い過ぎていて悪い意味で漫画的だった。

役者陣は、昔は猿の特殊メイクの中でマーク・ウォールバーグが一番猿顔じゃんと思っていたけれど改めて見てみるとそうでも無い様に思えた。
他の人は猿の特殊メイクなので言われないと気付かず、ヘレナ・ボナム=カーターもそうだし、ティム・ロスもマイケル・クラーク・ダンカンも言われるとそうかと思える位。
ただ、ティム・ロスは非常に張り切っていたなぁ。
特殊メイクだからもあるだろうけれど、やり過ぎな位悪い猿をしていて、その表情や動きが段々とおもしろくなって来てしまった。

後から知っておもしろかったのは、ティム・ロスとチャールトン・ヘストンとの関係性。
見ていた時は「これは誰か有名な人なんだろうけれど特殊メイクで顔が分からないので誰だろう?」と思っていた将軍の父親役が一作目の主人公だったチャールトン・ヘストンだったと後から知って「へ~。」と思ったので調べてみたら、チャールトン・ヘストンは映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」でも有名になったけれど、この映画の当時も全米ライフル協会の会長でもあって、一方のティム・ロスは全米ライフル協会やチャールトン・ヘストンの主張には反対だったので「チャールトン・ヘストンと同じ場面があるのを知っていたら、この映画には出演しなかっただろう」と言う位嫌っていたそう。
この二人の場面は将軍側の感動的な場面ではあるし、将軍が父親を心配していると言う話もあったのに、将軍が父親の死に何かを思う感じも見えて来なかったのはそういう事もあったからなのか。
ティム・ロスは契約上の仕事だからしたけれど終わったらさっさと立ち去ったらしくて、実は裏側ではこうだったというのはおもしろい話。

この映画、どうしてもティム・バートンなので一風変わった猿の惑星を求めたのにハリウッドの大作映画的な普通さしかなくて退屈はしないけれど飛び抜けたおもしろさは無いし、お手軽タイムトラベルと設定の緩さはそこを引き継がなくてもいいのに旧作から変わらずあり、見所は特殊メイクになってしまう、わざわざティム・バートンでする必要も無かったと思う映画になってしまっていました。

☆☆★★★
 
 
関連:「続・猿の惑星」をもう一度見てみました。
   「新・猿の惑星」をもう一度見てみました。
   「猿の惑星・征服」をもう一度見てみました。
   「最後の猿の惑星」をもう一度見てみました。

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