「続・猿の惑星」をもう一度見てみました。

2026年10月20日 火曜日

テッド・ポスト監督、ジェームズ・フランシスカス主演の1970年の映画「続・猿の惑星(Beneath the Planet of the Apes)」。
映画「猿の惑星」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの二作目。

一作目で不時着した惑星が地球だった事を知ったジョージ・テイラーは猿達に捕まっていたノバと共に猿達の村を去り、猿達が禁止地帯と呼ぶ場所に入りジョージ・テイラーだけが行方不明になってしまった。
一方、行方不明になったジョージ・テイラー達を探している途中に宇宙船で同じ惑星に墜落してしまい、一人だけ生き残ったジョン・クリストファー・ブレントはノバと出会い、彼女が持っていた認識票からジョージ・テイラーが生きている事を知りノバに協力を求めた。
ノバはブレントを猿の村に連れて行き、ジョージ・テイラーに協力したジーラとコーネリアスに引き合わせた。
ジーラとコーネリアスから事情を聞いて村から出たブレントとノバはゴリラ達に捕まってしまうが何とか逃げ出し、地下洞窟に逃げ込んだ。
その地下はかつてのニューヨークの地下鉄跡であり、そこで少数だけが生き残り、ミュータント化した人間と出会う。
彼らは超能力で幻覚を見せる事によって猿達を禁止地帯に踏み入らせてはいなかったが、食糧問題を解決する為に領土の拡大を目指し禁止地帯へと進行した猿達は幻覚だと見抜き、地下に攻め入って来た。

Amazon プライムビデオで猿の惑星シリーズが一気に配信終了となる予定だったので2010年代以降の映画を見ていないので見たいと思い、だったら以前の1970年代の初めのシリーズを見てから見てみようと思ったものの、何故か一作目だけが見放題には入っていなかったので、しょうがないので二作目から見てみた。
ただ、題名には「(字幕版)」とあるにも関わらず、何故か字幕は英語字幕だけで日本語字幕が無かったので、余り話を追えていない部分は多いと思う。

一作目は何時か昔に見たはずで、何とは無く話の流れと有名な最後の場面は覚えている位で細かくは覚えておらず、だからなのか、改めてこの続編を見てみると以前わたしが見た時に書いた感想よりもおもしろく見れてしまった。

ブレントが知らない惑星に不時着すると猿が言葉を話し、人間は何も話さず奴隷の様な扱いという所は多分一作目を見た後だと単なる焼き直しの再放送感が強いのかもしれないけれど、わたしは一作目をほとんど覚えていなかったので、「そう言えば、『猿の惑星』ってこういう事だった…。」と思い出せ、かつ、ここら辺は一作目でしているのでという事で短めになっていて本編の話に入って行くので見易かった。

展開は、最後の落ちに向けて逆算的に組み立てて行ったから、ゴリラがミュータントを襲わなくてはいけない。
だからゴリラは強行的に禁断地帯に攻めようとする。
その前に主人公はミュータントと会わないといけない。
なので、主人公はゴリラから逃げなくてはいけない。という事になっていて、序盤で主人公があっさりとゴリラ達に見つかって、捕まって、逃げ出しての展開はいらない気もしたり、ゴリラ達がやたらと強行的とか、そもそもミュータントの設定が煮詰め切れていないとか、緩い部分は多いものの最後の落ちで「成程ね。」とは思えたので余り気にはならなかった。

この落ちも、一作目の衝撃を越えるには…?と考えた結果だとは思うのでそうなるかとは思う。
ただ、まだ当時のブロックバスター映画の続編だからか分かりやすい様に説明台詞を入れていたけれど、何も無く、ただ真っ白の画面だけが延々と続いて終わるのでも良かった気がする。
それでもこの無音での終わり方は結構良かった。

猿側に関しては一作目で大体の説明をしていたと思うのでサラッと行くけれど、ミュータント側は説明が足りない。
食料もなさそうな地下でどうやって生きていたのか?とか、わざわざ顔を隠す覆面の必要性はあるのか?とか。
テレパシーとか幻覚とかの超能力ってやり過ぎだししょっぱさはあるけれど、まあこの当時のSFとファンタジーが曖昧な感じの時代ではありだったのか?とは思う。

一作目を殆ど覚えていなかったのでこの映画を見る前にある程度この映画の製作までの情報を見ていて、一作目の主人公だったジョージ・テイラーが少ししか出て来ないのはチャールトン・ヘストンが続編に出る気が無かったのを引っ張り出したからと分かっていたのでこういう使い方なのかと思い、特に違和感は無かったけれど、一作目からそのまま続けて見たら「チャールトン・ヘストンは出ているのに何で急に主人公交代なの?」とは思ったのだろうとは思った。

話の説明の無さや設定のいい加減さは以前わたしが見た時に書いた感想を読んでみるとそうではあったけれど、何とか続編を作って、その中で色々と入れてまとめてと考えるとこうならざるを得なかったのかとは思った。
この続編ではそれぞれの主張と力の行使という当時のアメリカの社会を反映させた対立構造や、それに対する皮肉を入れ込んでいるのだろうで、だからゴリラは砂漠地帯なのに食料問題解決の為と何だかよく分からない理由で侵攻し、ゴリラの力によって反対者は排除され、平和を求めていると言うミュータントはコバルト爆弾を信仰し、自分達の都合でそれを使って勝手に終わらせるという展開になったのだろうと思う。
ここら辺を中心軸に見てしまうと結構深い話で、ここが何だか興味を引かれ部分だった。
ただ、製作した20世紀フォックスは当時色々な映画が赤字になっていたのでこの映画でも製作費はそれ程出せなかったらしく、だからかミュータントは何かありそうな雰囲気で出て来たのに終盤には少数のゴリラにあっさりとやられてしまい、話の展開では大きくはなっていたけれど一作目を含めた最終戦争なはずなのに非常にこじんまりして、安い映画の感じは否めなかった。

この映画、以前見た時は「何じゃ、こりゃ?」な映画だとわたしの感想では書いてあったけれど、一作目が無かったので一作目を見ずに見てみたら意外と興味深く見れてしまって、意外とおもしろく見れてしまいました。

☆☆★★★

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