「最後の猿の惑星」をもう一度見てみました。
2026年10月24日 土曜日J・リー・トンプソン監督、ロディ・マクドウォール主演の1973年の映画「最後の猿の惑星(Battle for the Planet of the Apes)」。
映画「猿の惑星・征服」の直接の続編で、猿の惑星シリーズの五作目で、「猿の惑星」から始まったシリーズとしては最終作。
「猿の惑星・征服」から12年後。
シーザーが率いた猿達の反乱は大きく広がり、人間による核攻撃で多くの人間や猿達は死に、文明も崩壊してしまった。
シーザーは少数のチンパンジー、オランウータン、ゴリラ、人間が暮らす集落の指導者となっていた。
ある日、シーザーは核戦争で破壊された人間の都市にシーザーの両親の記録が残っている事を知り都市へと向かった。
両親の記録は見つかったものの、都市の地下では人間達が暮らしており、人間達は十年以上接触の無かった猿達が自分達の下に現れた事で侵略して来たと思い、偵察隊を出してシーザーの集落を突き止めて兵を送り込んだ。
シーザーの集落では人間を敵視していたゴリラの将軍が集落の人間を捕らえ、更にはシーザーへの反乱を企てていた。
Amazon プライムビデオで猿の惑星シリーズが一気に配信終了となる予定だったので、2010年代以降の映画を見ていないので見たいと思い、だったら以前の1970年代の初めのシリーズを見てから見てみようと思ったものの、何故か一作目だけが見放題には入っていなかったので、しょうがないので二作目から見始めて「猿の惑星・征服」を見てのその続編。
これも何故か題名には「(字幕版)」とあるにも関わらず、字幕は英語字幕だけで日本語字幕が無かった。
「猿の惑星・征服」からの続きで更に一作目や二作目に繋げるとなるとこういう話しかないのだろうなぁ…とは思うものの、肝心の中身が展開の起伏には富まず、何ら意外性の無いダラッとした話が続くのでつまらなかった。
これまでの未来の猿の惑星に繋げる為とは言え、お馴染みの強行的なゴリラが不満を抱え、チンパンジーがそれを気に病むのは変わり映えしないし、猿達は人間と共存しているという今までとは少し違う設定があるけれど、人間達は奴隷とはまで行かないが下等労働者的な扱いで、やっぱり焼き直し感は強い。
ここの各種族の関係性を描くには話が薄く、もっと色々と出来そうなのに踏み込まないので折角の設定も活きて来ない。
敵方の人間達は非常に攻撃的なのは核戦争まで行って、そこからそれ程時間が経っていないからではあるから攻撃的で攻めて来て猿対人間の戦いになるのは分かるものの、シーザーが人間を殺さない様に指示しても結局は人間を皆殺しにしてしまう展開になり、でも、自分達と共に行動している人間とは仲良くなりました…って、それで良いんだろうかね?と思える猿と人間の関係性。
ゴリラは毎度何故か強行的、排他的で、でも何故かシーザーの支配下から抜け出して自分達で暮らそうとしないし、人間を嫌う割に人間の労働力に頼っているしで矛盾とわがままを抱えただけの嫌な役にしかなっておらず、何でゴリラはこんな扱いなんだろうか?
このゴリラって、古今東西にいる「お前らは俺様が気持ち良くなる為に言う通りに従って生きていれば良いんだ!」と言う人間の比喩なんだろうか?
ゴリラは凶暴で支配欲が強く、チンパンジーは理知的で争いを好まないという性格付けは多分この当時の欧米ではそういう風潮だったからなのかもしれないけれど、今と言うかわたしの感覚だと、ゴリラは結構臆病で、攻撃を仕掛けるのは自分が危ないとか恐怖を感じた時で、ドラミングもあっち行けの威嚇だと思っているし、一方チンパンジーは何か気に入らない事があったのかで群れ同士で全面的に攻撃し合って殺し合い、相手方の子供も殺して食べちゃう様な凶暴性を持っているという印象で、この猿の惑星シリーズとは真逆。
でも、この映画ではゴリラは結構臆病な所もあるし、シーザーは人間に対する警戒心は強く、都市の人間に対しても話し合いをしようともせずに武力抗争したし、「猿は猿を殺さない」という信念はあるのにゴリラの将軍は殺してしまうしで結構凶暴性はあった。
ここら辺りは、何だかんだ言っていた猿も大して人間と変わらないという事なのかとは思う。
一方の人間も何故シーザーの所にいる人達はゴリラに虐げられているのにそこから出て行かず、人間達だけで暮らさないのかも疑問。
技術者が極端に少ないのは何か理由があるのか?とも思ったけれど、これも一作目の人間が置かれた設定に近い所に持って行くだけの為だからという理由なんだろうなぁ…。
やっぱり気になるのは設定。
初めの二作の状況設定に近付ける為だとは言え、「猿の惑星・征服」で起こった猿の反乱を圧倒的な個体差や技術力や武力がある人間が押さえ込めなかったり、そこから核戦争にまでなる経緯が見えて来ない都合の良さがあるし、「猿の惑星・征服」から十年程度で他の猿達が普通に喋れるようになり、人間並みの知能や行動力がある事が本当に都合が良いだけで見ていても白けてしまった。
これがまだ猿達の蜂起から数百年後なら分からなくもないけれど、こんな近い時代でここまですると興ざめも甚だしい。
これはシーザーで続編を作らないといけなかったからの事情だけなんだろうなぁ。
ここまで来ると「猿の惑星・征服」でも思った、この猿達は現実世界の猿とは違う、元々人間的になる潜在的な物を持っていた猿の様な別種の生き物と思うしかない。
それだと今度は本来は喋れる声帯があり、人間並みの知能や行動が出来る猿達が何故他の動物の様な暮らしをしていたのか?という疑問が出て来て、流石に人間が教え込んだから元々あった能力が開花したというのも都合が良くて、やっぱりSF的な設定がガバガバ。
地下にいた人間達も放射能で汚染されている場所に何故住み続けているのかもよく分からないし、あんな場所で食料はどうしているのか?も全然見えて来ない。
この地下の人間達も二作目の地下にいたミュータント人間に繋げる為だけの設定なんだと思う。
どうやら元々撮影はしていたけれど編集で落とされた部分を復活させた「エクステンデッド版」なる物がある様で、それでは生き残った人間が爆弾を使わずにこれ以上外とは関わらずに平和的に生きて行こうとなって、二作目のコバルト爆弾を崇拝するミュータント達に繋げたという話があるそう。
この映画、既に二作目、三作目の時点で蛇足感は否めなかったけれど、前作「猿の惑星・征服」とこの映画とわざわざ映画一本作ってまでする様な内容でもない事をしている感じで全然乗ってはいけないし、興味も出ないままで、連続ミニシリーズのテレビドラマと思うとこういう話もあるかとは思うけれど、それでもドンドンと尻すぼんで行く感じで何だかなぁ…という残念感もありつつ終わったシリーズでした。
★★★★★
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PLANET OF THE APES/猿の惑星