スローターハウス5

2017年08月08日 火曜日

ジョージ・ロイ・ヒル監督、マイケル・サックス主演の1972年の映画「スローターハウス5(Slaughterhouse-Five)」。
カート・ヴォネガットの小説「スローターハウス5」が原作。

ビリー・ビルグリムは老年を迎えていたが、過去・未来へと時間旅行をしていた。
過去に経験した第二次世界大戦でのドレスデン爆撃やアメリカ帰国後の結婚生活。そして、突如トラルファマドール星人に誘拐されてのトラルファマドール星での暮らしに自分の意識だけが飛んでいた。

わたしの事前知識としては、「カート・ヴォネガットのSF小説が原作」「時間に関係するSF」位しかなく見てみたのだけれど、全然SFじゃあなく、ドレスデン爆撃を思い出す記憶や意識に障害のある老人の妄想で、全く乗って行けず。

SF要素としてはトラルファマドール星人による誘拐なんだけれど、これが唐突な取って付けた話で、ジョークかと思う程戦争話とは乖離し、大分ポカーン…。
素直にそのまま理解するなら、戦争体験での自閉症的PTSDと、それを解決しようとする電気ショックによる酷い治療。飛行機墜落とそれに発狂した妻の死等、記憶や意識が混沌としてしまう程の経験を重ねた老人が衰えもあって、以前見たポルノ的な映画の女優とどっかの星で暮らすという自分が気持ち良い妄想の世界に行ってしまい、妄想が自分を捕らえる中で過去を走馬灯の様に思い出しているだけにしか思えないんだけれど。
特にトラルファマドール星のあの能天気な景色見ると、より妄想にしか思えないし。
あの飛行機を墜落させたテロリストも結局何だか分からないし、多分四十年以上経ってからの急な復讐も何で今更なのかも分からないし、ドレスデン爆撃以外の話の取って付けた感が物凄い。

トラルファマドールの登場で相当ズッコケてしまうのだけれど、本来の主軸であるドレスデン爆撃の話もいまいち弱い。
この映画を見てから知ったのだけれど、原作の「スローターハウス5」が書かれた1969年頃はまだドレスデン爆撃が知られておらず、実際にドレスデン爆撃を体験したカート・ヴォネガットが書いたという事で非常に重要な意味がある事を知った。
ただ、今にこれを見ても、散々映画等で見て来た第二次世界大戦のヨーロッパでの出来事を、特に盛り上がる話ではなく、自分の意志が見えず何を考えているのか分からない主人公の翻弄を淡々とずっと見せられても全然おもしろくもなかった。

この映画が基本的につまらないのは、やっぱり主人公の意志が見えて来ないからだと思う。
この主人公が何を考え、何をしたいのかが見えて来ないので、終始「だから何?」状態。
戦争に巻き込まれた人を描くにしても、主人公なのにその他大勢程度の薄さしかないし。
むしろ主人公の周りの人々の方が個性が立ち、活き活きとしているので、「主人公の話はいいから周りの人間の話の方が見たい」と思ってしまい、「そもそも話を引っ張るだけの主人公に対する共感性ってあるのかしらん?」と思ってしまった。
トラルファマドール星人は自由意志がどうのこうの言うけれど、一番自由意志が感じられないのがこの主人公で、この主人公を選んでいるのって何かの皮肉なのか、それとも超人的存在のトラルファマドール星人を宗教的な神とする比喩で、神って結局間抜けじゃん!という皮肉なんだろうか?
主人公の意志や感情が見えるのは最後の周りに面倒臭い人間がおらず、自分が憧れてた若いポルノ女優とセックス出来て「ウヒョー!」の非常にしょうも無い部分だし。

ずっと主人公の世話を焼き、何とかアメリカに帰ろうとしていた先生は人形一つ取ってしまい、それを素直に見せてしまった為に簡単に殺されたしまったけれど、大きな家具を盗もうとした主人公は身動き取れないのに助かったとか、何かよく分からない内に主人公は社会的地位を上げていたり、トラルファマドール星人に偶然誘拐されて楽しい理想の老後を過ごせたりと、主人公ってドレスデン爆撃に巻き込まれて壮絶な体験はしているけれど、ただただ偶然に運が良いだけという非常にしょうも無い展開。

それにこの主人公、死を悟った感じで過去も未来もどうのこうの言うのだけれど、この映画の最後の場面って、面倒臭い問題が一切無いトラルファマドール星で若いポルノ女優とセックスして子供が出来て「やっほーい!」でお終いなので、まあ言っている事と見せているこのチグハグ感たらない。

全ての時間軸が前後する編集や見せ方は良いのだけれど、編集を時間軸通りにならべると物凄くしょうもない。

この映画、今見ると退屈な戦争映画だし、SFとして見ると老人の妄想世界しか思えずSFには思えないし、非常にしょうもなかった。
原作小説だともっと丁寧に書いているのかなぁ?

☆★★★★

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