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タイタンの戦い

2016年12月25日 日曜日

ルイ・レテリエ監督、サム・ワーシントン主演の2010年のアメリカ映画「タイタンの戦いClash of the Titans)」。
1981年の映画「タイタンの戦い」のリメイク映画。

神々が人々の祈りによって不死の命を得ていた古代ギリシア。
人間は神々の暴挙に対し、神々への信仰を捨て、神々へ反旗を翻していた。
赤子の時に漁師に拾われたペルセウスは成長し漁を手伝っていたが、アルゴスの兵士達がゼウスの像を破壊し、その報いとしてハデスが兵士達を襲っていた所に偶然居合わせ、家族をハデスに殺されてしまう。
アルゴスの神々への反乱を怒ったゼウスはハデスにアルゴスの処遇を任せ、十日後の日食にクラーケンを放ち、アルゴスの町を破壊すると宣言。
それを阻止し、ハデスへの復讐を果たす為にペルセウスはアルゴスの兵士達と共にクラーケンを倒す方法を知る魔女の元へと旅に出た。

ゼウスと人間の間の半神(デミゴット)であるペルセウスの英雄譚であり、映画としては派手で分かりやすいファンタジー・アクション映画となっており、それなりに見やすいし、結構おもしろくはあった。
しかし、色んな要素を詰め込み、それを次々と見せて行く為にどの要素もお座なりでしかなく、時間の制限からも映画の限界ばかりを感じてしまった。

主人公のペルセウスは人間として生きて、家族を神に殺されたので神に対する憎しみや拒絶を持っているはずで、序盤ではそうとペルセウス本人も言っているのにも関わらず、この葛藤が弱過ぎる。
神から送られた剣を使わないのは自分が人間だからと言っていたのに、葛藤も無く自分が太刀打ち出来ない相手なのですんなり剣を使ったり、最終的にゼウスの気まぐれで多くの人が死んで行ったのにゼウスに文句も言わずに受け入れてしまうし、終盤での突如の人間性の欠落は人ではなくなってしまい結局神になってしまったペルセウスの行ってしまった感が怖かった。

周囲の登場人物はやたらとドラコ隊長ばかりがカッコ良く、目立つ存在だったけれど、他の兵士達は余り見せ場も無く、あっさりと死んで行くという使い捨て感は半端無いし、二人の狩人は何でペルセウス達に付いて来たのかの理由も一切分からなく、一方で急に「俺達は行かない」とパーティーを離脱。そして、近年の物語の定石通りに最後に現れて人々を助けてはいたけれど、一場面だけでペルセウスとも絡んで来ないというお座なり感。
ペルセウスにずっと付いて来ていたイオも何でそこまでしてペルセウスを見守り続けているのかは描かれないし、こっそりペルセウスと兵士達に付いて来ていたはずなのに何時の間にか兵士達と一緒に行動しているし、死んでしまいました…でも、ゼウスによって復活させられペルセウスが希望もしていないのに伴侶としてあてがわれるとか、このイオの展開上の駒でしかないったらありゃしない。
ゼウスは人間に怒ってアルゴスを滅ぼそうとしていたはずなのに、早い段階でペルセウスを助けてクラーケンを倒させようとしているし、ペルセウスの存在も元々はゼウスの陰険な復讐によってペルセウスが誕生し、それによってペルセウスは辛い人生を歩んでいるのに、息子を心配する良い父親顔で偉そうにペルセウスと対したりと、その場その場で態度が変わり過ぎる適当なおっさんで、台詞では「神々の暴挙。神々の暴挙」と言っている割にそれが全然描かれていないという描写の根本的部分で致命的な問題があるにしろ、このゼウスの態度見ていたら、そりゃあ人間は相当振り回されていたんだろうなぁ…と推測は出来てしまう。
ゼウスと兄のハデスの関係性も、もう少し描けば面倒臭い兄弟の争いと権力闘争が合わさったおもしろい話になるのに、ちょっと兄弟喧嘩しているだけにしか見えないし、何よりゼウスがアホ過ぎるだけに見えるし。
アルゴスの王と妃と姫の関係性だって、王は自分の見栄や権力と新たな時代の為の独立戦争をした反面、妃を傷付け、娘を生贄にするか、国民を見捨てるかの決断とか、姫の自己犠牲の覚悟とか、こちらも描く事は一杯なのにこちらも物凄くお座なり。
この登場人物達の薄っぺらな描きは映画ではどうしようもないか…。
この映画を見ていて、十日後という制限があるので半日で一話として二十話位の連続ドラマですれば良いのに…と、強く思ってしまった。
そうすれば各人・各神の思惑や葛藤が描けるし、それを積み重ねて行っての最後のクラーケンへと物語が収束し、ペルセウスのハデスへの復讐が果たせそうでハデスが逃げ延び、シーズン2へ…という展開だったら、相当おもしろいはずなのに。

あと脚本で言えば、アクリシオス王はどうやってペルセウスを追っかけて来たの?とか、ジンの魔法使いが付いて来たけれど、安っぽい着ぐるみ風でそんなに活躍らしい活躍もしないままだったのに出す必要あったの?とか、黒いペガサスは何で急にペルセウスを乗っけて素直にペルセウスの指示通りに飛ぶ事にしたの?とか、展開の為だけの説明の無いお座なりな急展開は酷い脚本。

映像的な部分では、わたしはどうにもCGバリバリのファンタジーは嫌いで、この映画ではメデューサの場面なんか、もう完全に実写ではなくアニメーションで、「ロジャー・ラビット」とか「スペース・ジャム」みたいな感覚で見てしまっていた。
このメデューサは日本のアニメ的な顔していて浮きまくっていたし。
その他のCGはやっぱりCG的ではあるものの、それなりには見れたけれど、どうしても気になるのはCG生物の動かし過ぎとカメラワーク。
アメリカ映画のCG生物って本物以上にやたらとヌメヌメ動かし過ぎで嘘っぽくなるけれど、この映画では巨大サソリがあれだけ大きいのに人間よりも素早いという点で、もう白けた。そりゃあCGの動き担当としてはグリュングリュン動かしまくりたいのは分かるけれど、巨大な外骨格生物があれだけ動けないでしょ…とまず思ったし。
それに、実写部分のカメラは通常の動きなのに対し、CGの部分はグリュングリュン動かしまくって、明らかにコンピューター上のカメラワークでしかなくなると、もうCGアニメーションなので急に覚めてしまう。
あと、神々の黄金聖衣には笑ってしまった。「聖闘士星矢」をリーアム・ニーソンがやっているのだから初登場で笑ってしまった。

役者に関しては、ペルセウス役のサム・ワーシントンは他の映画でもそうなんだけれど、どんな役をしても印象が極端に薄く残らない。この印象の残らなさは何なのだろうか?
一番のカッコ良い、美味しい役はドラコ隊長役のマッツ・ミケルセン。テレビドラマ「ハンニバル」のハンニバル・レクターとか、狂気的な悪役が多い様な印象だけれど、真っ直ぐな男前したら物凄くカッコ良いじゃん。
他にもゼウス役のリーアム・ニーソンとか、ハデス役のレイフ・ファインズとかは流石に存在感は強いのだけれど、見ているとギリシア神話というよりも北欧神話ぽかった。
サム・ワーシントン、レイフ・ファインズ、アクリシオス王役のジェイソン・フレミング、イオ役のジェマ・アータートンはイギリス人。リーアム・ニーソンは北アイルランドとやたらと主要人物の役者はイギリス人だし、兵士達もイギリス・アイルランド・スコットランドとか、マッツ・ミケルセンもデンマーク人で、見ていても顔が地中海周辺人には見えないんだよなぁ。
地中海周辺の役者を配役しなかったのは何でなんだろう?
しかもこの映画の監督フランス人だし。
これだと日本人俳優がほぼおらず、タイ人俳優総出演でベトナム人監督が日本神話の映画作っているのと同じ様な事でしょ。
別に多国籍は良いのだけれど、イングランドでギュッと集まっているのがよく分からないし、ギリシア神話なんだからギリシア人俳優でするべきだし、撮影も地中海周辺で余りしていないから見た目もギリシア神話っぽくなかったしで、見た目に違和感を感じてしまった。多分、企画や資本が先行しての映画だったんだろうなぁ…と思ってしまった。

この映画、パッと見は派手でおもしろくはあるんだけれど、人物や話の描写がどれも薄いので掴まれる前に次に次にと行ってしまい、見入って行く前に粗ばかりが目に付いてしまった。
これ、本当に映画にすべきじゃなくて連続ドラマでしたら相当おもしろくなっていただろうなぁと思うばかり。

☆☆★★★

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