殺人狂時代

2013年06月14日 金曜日

チャールズ・チャップリン製作・監督・脚本・音楽・主演の1947年の映画「殺人狂時代(Monsieur Verdoux)」。

不況で三十年務めた銀行を首にされ、年配女性を騙し、殺して金を取って行くチャールズ・チャップリン。

この映画では、今までのチャップリン映画の何時もの格好「山高帽に燕尾服と杖」のチャップリンではなく普通のおっさんの格好をし、何時ものドタバタ喜劇を封印して一役者としてのチャップリンで演じている。それも、色んな女性を騙す為に色んな人物に成り済ます人物。ただ、どの人物もそんなに変わり映えがしないけれど。
そんな映画のキャラクターのチャップリンを飛び出して、役者としての顔を見せてはいるけれど、映画自体は映像的にも脚本的にも退屈。
映画の始まりから「歳が行った女性が急に結婚して連絡が取れない」という状況説明から始まり、チャップリンの背景や現在の状況を全部台詞で説明してしまう安っぽさ。
画面はほとんどが正面からの構図ばかりで、人々はきっちり4:3の画面に収まる様に立ち位置が決められ、セットはシットコムの様な前面の壁が無く、キッチリ照明が当たった中での大人しい舞台劇の様な演出。
音楽も全然合ってなく、特に悩む事も無く作業の様に連続殺人を犯すのに、音楽は柔らかい感じでまるでラブロマンス。
演出も、金目当てで実験や流れ作業的に殺人を犯すヤバ過ぎるはずのチャップリンの描き方や見せ方は単なるナンパしまくって小金を稼いでいる様な小悪党にしか見えないような描き方で、この人物の描き方には違和感しか覚えない。チャップリンが全てを自分で作ってしまっているので、自分を悩める悲劇的な男程度の綺麗に、綺麗過ぎにしか描いていない。まるで時代に翻弄された悲劇的人物の様に描いているけれど、方法は結婚詐欺ではなく何で連続殺人にまで至ったのかとかの理由は描かれず、しかも自分のして来た事を「白昼夢に生きていた。現実だったか分からない」などと反省や後悔等もない単なる自分勝手で壊れてしまっているサイコ野郎でしかないのに、綺麗に描き過ぎ。この主人公の理由の分からない殺人と、最後に至って自分酔いの自己肯定にウンザリしてしまった。正直こんな自分勝手で意味不明な人物が戦争批判をしてしまうチンケさったらありゃしない。最後のチャップリンの一人舞台をやりたいが為だけの都合の良い振りでほとんどが構成されている映画。

普通の映画なのに、チャップリンは時々これまでの大袈裟な喜劇演技をするので、こういった映画では非常にわざとらしく、コメディアンを抜け切らない感じばかり。
それに連続殺人鬼なのに狂気や切羽詰まった感が無く、にこやかな紳士以上のモノがなくて、時代のせいでこうなったと言うよりは、本来そう言った殺人衝動があった様にしか見えない。

構成も、女性を騙して金を取ろうとする顛末の繰り返しで、それをまったりと描き過ぎ、引っ張り過ぎていて、結構早い段階から飽きて来る。

この映画、原案にオーソン・ウェルズがクレジットされているけれど、オーソン・ウェルズがチャップリン主演で撮ろうとした映画が流れて、その案の権利をチャップリンが買ってこの映画を作った為のクレジットだそう。しかしこんな中途半端な映画になったのなら、チャップリンでなくオーソン・ウェルズが作るべきだったと思う。

チャップリンの演技や役柄自体も含め連続殺人犯を描くには全く合っていないし、映像的にも構成的にもサスペンス映画で行くには非常に中途半端だし、映画の主題も見せ方が拙過ぎるので、何じゃこりゃな映画。チャップリンの後年の映画って、大スターだったからしょうがないにしろ、自分酔いの映画ばかりでつまらない。

☆★★★★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply