鉄道員(ぽっぽや)
2012年10月18日 木曜日高倉健主演の1999年の映画「鉄道員(ぽっぽや)」。これ正式な題名は(ぽっぽや)まで含まれるのか、どうかよく分からない。
北海道の雪深い駅の駅長を務める高倉健が、担当する路線の廃止も決まり、自分も定年を迎えようとしている中、一人の女の子と出会う。
まあ、話は「哀しいでしょ!感動するでしょ!」を前面に押し出したあざとさばかり。描かれるモノも、忙しい訳でも無い、全然暇な駅の仕事を言い訳に、「家族を犠牲にしたけれど、みんな分かっていたよ!」という自分への慰めを、それがまるで良い話かの様に見せるけれど、実際は独り善がりな自分の都合の良い妄想、白昼夢で、それで自分で勝手に納得して死んで終りと、単に主人公のオナニーを見せられても「だから何?」。
展開は起伏を作っているはずなのに、全然盛り上がりもせず、非常にまったり、すっと流れて行くだけで非常に退屈。
構成もやたらと回想場面を多用し、流れをブツ切り。回想場面は数十年前なのに皆歳取っていて、今と大して変わらないし。行き成り高倉健と大竹しのぶが夫婦と出て来る時点で、何かのコントかと思ってしまう。でも驚く事に、高倉健は数十年前の他の映画を見ると、この回想場面とそれ程変わっていない。驚くべき老けなさ。
そして何よりこの映画、映像が安っぽい。外での撮影の景色が良い分、セットでの撮影はセットが安いし、シットコムみたいな一面の壁がないしで、外と内の落差でよりセットが安く見えてしまう。
この映画、電車を扱っていて、走行する電車は実際に走っている映像なのに、運転している所はセットに背景は合成で、しかもこの窓に映る景色とかの合成が安過ぎ。もう少し照明もそれらしく見せればいいのに。一番の見せ場でもある電車が走る景色が良い分、このセットでの合成の落差で非常にしょっぱくなってしまっている。普通の室内のセットでの照明も明る過ぎな、安いテレビドラマの様な照明だし。
それに回想場面は、映像が淡い色合いで、少しぼやけた映像になるという、「今時これするか…。」な古臭いと言うか、あざと過ぎると言うかな演出でしょっぱい。
それと役者、特に女優大竹しのぶと田中好子の老けメイクが、本当に安っぽい。二人がそれなりの歳なのに若過ぎると言うのもあるけれど、単に髪の毛に白髪入れているだけというしょっぱさ。
それにこの音楽が変。壮大な物語を想像させる音楽の割に、表れている映像は吹雪で視界が悪い雪一面の画で、音楽と画がチグハグ。
あと、役者陣の演技も気になる所。小林稔侍は元から他のでも大して上手くないけれど、他の人もどうにもわざとらしい方言で喋るせいもあり、皆台詞が下手くそに聞こえる。色んな役者が出ている中で広末涼子は、10代のアイドル的な演技をしていたのもニタッとしてしまったが。
で、この映画で一番感心したのは、小林稔侍が眠たくなり転げて床に頭を打つけれど、彼の帽子は一切ズレる事が無かった事。しかもこの場面、高倉健が転がる小林稔侍を起こそうと彼に伸し掛かり、小林稔侍が「ずっと俺と一緒にいてくれ。」と告白され、何の、誰向けのサービスシーンなんだと、ニタッとしてしまった。
それにこの映画見て喜ぶのって中高年じゃあなく、鉄道マニアなんじゃあなかろうか?実際の電車運行以外にも、鉄道関係の物が出て来るし、何より広末涼子が学校の鉄道クラブに入っているという、鉄道マニアが絶対するだろう「美少女が鉄道部にやって来る!」という最高の妄想を広末涼子に言わせているし。
この映画、本当に安っぽい。話も歳取ってボケ始めた男の、自分に都合の良い妄想で夢想して現実化させ、「あなたは悪くない。」と過去の自己肯定だけして投げっ放しのまま終わるだけという、閉じこもった後ろ向きな姿勢で非常にしょうもない話だし、何よりセットと照明の映像の安さ、それに有名俳優やお笑い芸人を一場面少しの登場で多用する、古臭い受け狙いがより安さを出してしまっている。
この原作は短編だそうだけれど、それを膨らまそうとしてとにかく色んな事を足し、それが蛇足的に見事に外している感は拭えない。
結局、高倉健や役者がどうのこうのという訳でなく、製作陣、特に監督・脚本もしている降旗康男が駄目だったという事か。
☆★★★★