生きる
2012年03月28日 水曜日「デルス・ウザーラ」に続き、黒澤明監督映画、志村喬主演の「生きる」。
黒澤明の現代劇だけれど、今見ると十分時代劇。1952年で「東宝20周年記念映画」だものなぁ。
死ぬかもしれない事に気付き、新たに生きようとするけれども、歳の行った主人公は何もかも捨てて新たには出来ず、今の延長線上にすがり付き、何とかしよう、出来る事をしようとする。確かに無常観が溢れ、死に面し、どうしようも無い壁が立ちはだかった時にどうするかの選択の問題を描いて、良い映画なのだけれど、そんなに良い映画でもなかった。誰が何の理由で喋っているのか分からないナレーションが急に所々入ったり、今まで志村喬の人生の話が主題だったのに、後半になると役所で足踏みばっかりで進まず、顧みない人間の話を志村喬を使い描く様な話になり、急に主題にぶれが生じた感じがした。
一番この映画に気持ちが入って行かないのは、主演が志村喬だからか。志村喬の魅力は爆発している。このしょぼくれて、哀しい顔は誰も敵わない。しかし、志村喬ってそんなに演技が上手い訳でもなく、一番感情表現が重要な役なのに演技は一本調子で、しょぼんとした顔に寄れば毎度毎度で、もはや顔芸。気の無い、呆れた志村喬を見る度、かすれて籠った声で喋る度に笑ってしまう。ダンスホールで「いのち短し 恋せよおとめ~」と一点見つめで歌い出す志村喬には爆笑して、笑い転げてしまった。一体この志村喬の演技ってなんなのだろう。面白過ぎてコメディ。何かと似てるなと思ったら「Mr.ビーン」。周りの人は普通に過ごしているのだけれど、主人公が引っ掻き回す。あの明らかな笑いを取る変な動きは無いけれど、志村喬は奇妙な動きで笑いを誘うし、顔芸は爆笑モノ。
それと、録音・音声が非常に悪い。基本的に皆何を喋っているのか聞き取り難いし、聞こえ難いから音を上げると今度は割れまくって耳障りだし。これより前の「羅生門」ではそんな事無かったのに、何だろ…?
描かれている事は今でも通じる個人の生き方の選び方で、分かり易い人生賛歌なのだけれど、演出や志村喬の演技のせいで余りに面白くて、爆笑。前半の人生を変えようとする滑稽で物悲しい姿から、後半の身内話になって行くにつれ、その哀しさも尻つぼみに。一番有名な雪の中でブランコに乗る場面も、死んでしまうという振りがしつこ過ぎ、溜めも無くブランコの場面が始まり、さらっと遺影で終わる演出に特に感動も無し。名作、感動作と言われる分だけ期待が強く、それのせいでも肩透かしに終わってしまった感じが強い。前半の死にそうで、しょぼくれた志村喬の爆笑コメディで終わってれば、黒澤明の最高のコメディ映画だと思えたのに。
途中に出て来る小説家役の伊藤雄之助を見たら「嶋田久作!」と思ってしまった。それ程そっくり。
それと驚いたのは、現在も写真店の看板等で良く見る「DPE(Development Printing Enlargement=現像・焼き付け・引き伸ばし)」がこの時代から使われていた事。
☆☆☆★★