天国と地獄
2018年12月25日 火曜日黒澤明監督・脚本、三船敏郎、仲代達矢、山崎努出演の1963年の映画「天国と地獄」。
エド・マクベインの小説「キングの身代金」が原作。
ナショナル・シューズ社の常務権藤金吾は売り上げが伸びない自社を変える為に社長を降ろそうとする計画を重役達と話し合っていたが、権藤は独自に株の買い占めを行って自分が会社の実権を握る為に財産をかき集めて5000万円を用意していた。
そこに突然「息子を誘拐した」と言う電話が入るが、権藤の息子はおり、権藤の運転手の青木の息子がいなくなっていた。
電話をかけて来た男は間違えて誘拐した事を認めたが、それでも権藤に3000万円の身代金を要求した。
権藤は自分の人生をかけた取引の為に用意した金を自分の息子ではない子供の為に差し出すべきなのかを悩み始めた。
連絡を受けた警察が権藤家にかかって来る電話を聞きながら犯人を捕まえようとするが何も手立てが無かった。
流石に黒澤明映画だけあって、今見ても展開や扱っている題材は古ぼけずに非常におもしろかった。
会社を変える為の謀略から始まり、それが権藤が自分で何とかしようとする企業話かと思いきや、突然の誘拐事件になったと思ったら別人を誘拐し、それでも身代金を払うか否かの葛藤となり、電車を使っての犯人に手出しを出来ない巧妙な身代金受け渡しが終わってからも警察の地道な捜査を延々と描いて徐々に犯人を追い詰めて行く緊迫する第二部となり、そこから最後の犯人の一人芝居と、捻って意外性を見せた展開は抜群。
それに、金持ちを羨むというだけの動機で駆り立てられた犯人の狂気は今でもある話しで、50年以上経った今でも見ていて寒気と吐き気を感じてしまった。
ただ、流石に50年以上も前の映画だけに、結構もっちゃりしている部分は多かった。
初めの誘拐事件が発生してから電車までの一時間位はほぼ一室だけで話が進み舞台っぽくておもしろい設定ではあるけれど、結構ダラダラと続いて見た目的にそれ程代わり映えしないので徐々に気持ちが落ち着いてしまった。
しかも登場人物の状況説明や感情を全て台詞で話してしまうのでいまいち乗って行けず、ここは葛藤を描いてはいるけれど展開が遅くてちょっと飽きてしまってはいた。
電車での身代金受け渡しは緊迫感があって良かったけれど、その後の警察の捜査もたるさがあり、特にこの映画の象徴的な場面となっている煙突からの色の付いた煙を見せた後もダラダラと捜査を続けるのも締りが無くて退屈だった。
煙の場面で見ている方にも「あっ!」と思わせて一気に話が終息まで展開すると思うじゃない。
でも、その後もダラダラと犯人を泳がせる場面は長いし、これだけ引っ張ったのだから一番の見せ場として犯人逮捕があるのかと思いきやそうでもなく、ヌルっと犯人逮捕で盛り上がらなかったし。
あと、最後のあの如何にも役者の演技の見せ場はどうにも嫌い。
他の映画でもドラマでも、「役者が演技を見せてます!」なのが、どうにも白けてしまい、なのでそれで終わるので印象として「何だかなぁ…」になってしまった。
それと仲代達矢演じる戸倉警部も凄い様で凄くないのもいまいちだった部分。
通報を受けてすぐさまやって来たけれど、誘拐犯を探る為に細かい情報を聞き出す訳でもなく、権藤が5000万円を用意しているのを知ったのに、その時に偶然にも誘拐事件が起こって3000万円を要求して来る誘拐犯は関係者じゃないのか?とか一切疑わないし、序盤で「こいつで大丈夫か?」と思ってしまった。
後半の犯人が分かった後に、このままでは刑が軽過ぎるので罠にはめて罪を重くしてやろう!と言い出した時には「こいつはヤバい…」と引いてしまったし。
この戸倉警部がどうにも腑に落ちなくて、5000万円を用意したと発表した直ぐ後に誘拐が起こっているのだから5000万円を用意したと知っている人物を怪しむのが普通だし、こんな偶然なんだから5000万円の用意や反旗を翻した重役達との関係が誘拐事件に関わっているのかと思いきや、本当にただ会社の行く末の5000万円の用意と誘拐が偶然だったと言うだけの脚本は間抜けな感じだし、犯人の鬱積した妬みや嫉みの暗い感情を爆発させてしまった対比として、正義だと思われるモノが成されるなら悪人に更に罪を重ねさせてより刑を重くさせようとする暴走した正義の戸倉警部をそうとは描かずに普通に正義の人として見せているのが全くしっくり来なかった。
この映画は現代劇ではあるけれど、半世紀以上前となると最早時代劇に近い感覚の分からなさが出てしまう。
身代金の3000万円は大金だとは分かるけれど、それが今のどれ位の感覚なのかさっぱり分からず、しかも後からカレーが100円とか、ソーダが40円とか出て来るので更に金銭感覚がピンと来ないまま。
三船敏郎が自宅の窓を開けて外を見ると、排気なのか、スモッグなのか、物凄く街の景色が曇っていて、しかも街並みが小汚くて、それでもあの高台に家を建てている感覚がいまいち分からないし、あんなに目立つ丘の上の一軒家で外から丸見えなのに気にしていないとか、この時の家の感覚がさっぱり分からなかった。
この映画、誘拐モノとしては二部構成的な展開でおもしろいのだけれど全体的に間延びする部分が多く、どうしても古いサスペンス映画になってしまっている。
かと言って、これを現代に置き換えたらミスリードを多用してしょうもなくなってしまうだろうし、色々と成り立たない部分も出て来るだろうで良くある凡作サスペンスになってしまうのだろうし、やっぱり現代劇のサスペンスって公開された数年後位までに見ないとちゃんと楽しめないのだろうなぁと思ってしまった。
☆☆☆★★