楢山節考
2012年03月31日 土曜日監督木下惠介、主演田中絹代の1958年の映画「楢山節考」。
全部がわざとらしく、見ていても白ける。肌のツヤ張りからしても老婆には見えない田中絹代。皆、少しの方言交じりだけれどの時代劇口調。特に若手俳優の演技の下手さと言ったら。セットは凄いとしか言い様の無い程作り込んであるのだけれど、それが全編なのでその作り物感ばかりが目立つ。人が走るとダカダカと音が鳴る、中がスッカラカンな低予算のテレビドラマ並みな地面は流石に無い。初めから全編作り込まれたセットなのに、最後行き成り実際の外の風景で終わって腰砕け。また、カラーの極彩色を意識し過ぎて色鮮やか過ぎる原色の様な照明は、綺麗と言うよりもわざとらしさ、あざとさばかり。義太夫節での状況・感情説明は何言ってるか分かり難いし、台詞もいまいち聞き取り難い。それにわたしは三味線の音が苦手で、それがずっと流れ続けるので、しんどいし、うるさい。カメラもセットからの制限で寄りが少ないのだろうが、この題材だからもっと表情と静寂で語っても良さそうなモノを、遠目が多いので俳優の顔が前に出て来ない。
話としては「姥捨て」の有名な伝説が基になった深沢七郎の小説「楢山節考」が原作になっていて、実際昔は「口減らし」があった様に、この話も現実味を帯び、恐ろしさがあり、親子の情の話でもある。ただ、このお涙頂戴で延々と引っ張り続けて、そのままな直球過ぎる展開には退屈し、途中からはながら見だった。むしろ興味が行ったのは、村社会の恐ろしさ。それが習慣だから、文化だからで、個人が潰され、人の気持ちなど関係無く行なわれる、当たり前さが一番恐ろしい。別に昔に限った事でも無く、今でも友人や知り合い同士の小さい社会でも、地域や国の大きな社会でも「~は当たり前だから…。」によって潰される個人の想いや行動の制限って、一番気を付けなくてはならないし、恐れた方が良いと改めて思う所。
老母がこの映画で歯を折る場面があるけれど、演じていた田中絹代が実際に歯を抜き演じたという話も、女優の演じる事に対する行ってしまう狂気と執念に恐れを抱く所でもあり、一番田中絹代という役者が恐怖の対象かもしれない。
この映画セットはトンデモなく凄い。ただ、引きの画は舞台感一杯で嘘くささ満杯。話も伸ばし過ぎで退屈し、正直な所映画としてはつまらなかった。
☆☆★★★