ミッシング・レポート

2021年07月02日 金曜日

サイモン・カイザー監督、ガイ・ピアースピアース・ブロスナン共演の2018年のアメリカ映画「ミッシング・レポート(Spinning Man)」
ジョージ・ハラの小説「悩み多き哲学者の災難」が原作。

大学で言語哲学を教えている教授のエヴァン・バーチの家に警察がやって来る。
近くの湖で女子校生が失踪し、その現場近くでエヴァン・バーチが乗る自動車と同型の自動車が目撃されていた為に警察が捜査にやって来た。
エヴァン・バーチは自分は無実だと言うが、彼の証言があっていない事から自動車が押収され捜査すると自動車の中から女子校生の髪の毛が発見される。
疑心暗鬼になるエヴァン・バーチの家族だったが、エヴァン・バーチ自身も記憶が曖昧だったり、自分の妄想と記憶が曖昧になっていて、自分自身に対して疑心暗鬼になり始めていた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみた、かつ、ガイ・ピアースとピアース・ブロスナンが出ているので見てみた映画。

主人公の若い女性に対する欲望からの妄想が記憶を侵食して何が事実なのかを曖昧にしているというのを、主人公の専門分野である実在の証明等を扱う言語哲学に絡めて、主人公が女子校生を殺したのかどうかをじっくりと描いて行くサスペンス。
じっくり描いているので話や主人公の心情は分かり易くはなっているけれど、じっくり描き過ぎていてサスペンスとしては余り怖さが無く、主人公の妄想と現実もそれ程強烈ではないし、構成もどうなの?と思ってしまって色々と弱い気がした。
主人公に対する突如の疑惑とそれに振り回される一家を描いてはいるのだけれど、映画に一番初めに主人公が「犯罪を通報したい」と言い、「記憶が曖昧だ」という場面があるので、もうこれで話の注目点が主人公が本当にやったのか?記憶が曖昧でやっていないのか?の部分だけになってしまう。
なので、既に分かっている事を小出しに話が進んで行く感じで、まったりし過ぎなサスペンスに感じてしまった。
この一番初めの後の部分はいらなかった様な気がした。

主人公の妄想と現実の区別のつかなさは白昼夢の感じで描かれたり、時々ボーっとして意識が飛んでいたりするけれど、誰でもあるような感じな心ここにあらずなので、そこまで自分がやってしまったのか?恐怖や追い込まれ感が薄い様に思えた。
特に主人公を演じているのがガイ・ピアースなので、ガイ・ピアースで曖昧な記憶と言えば映画「メメント」が強烈な記憶障害なだけに、このガイ・ピアースがどうしても薄く感じてしまった。
やっぱり、曖昧な記憶と言う部分でガイ・ピアースが配役されたのかな?

結局主人公は無罪ではあったけれど、どうにも若い女性への浮気衝動は抑えきれずで、しかし、過去も現在でも実際に迫ったのかは記憶が曖昧なのではっきりせず、妻との関係が壊れて終わりなのは中々気持ちの悪い、物語的には良い終わり。
主人公本人にも何が実際の出来事なのか分かっていなかったりしたけれど、途中の椅子の存在の証明で刑事が「どの椅子だ?」と言っていたので、もしかすると本当に刑事には椅子が見えていない。現実にはそこに椅子は無い。主人公が椅子を置いたのは想像の中だけだったという、主人公が大分想像の中で生きているという事かと思ったらそうでもないのかな?そこまで行ってしまっている人物でもないようだし。

あと、それまで多く描いていたネズミ捕りの話は何の比喩なのか?関係性だったのだろう?
これがよく分からず、最後にネズミが回し車の中で走っていたのが、結局過去と決別したと思っている主人公は同じ所をグルグル回っているだけで同じ事を繰り返しているという比喩に持って行く為にネズミが必要だったという事なのだろうか?

それと、主人公が取っていたマッチは何だったのか?は説明の無いままだったし、刑事がアルコール依存症から抜け出た人がコインを触ると言う話をしていて、最後に刑事もコインを触っていたので刑事もアルコール依存症だったと分かるけれど、これも何の意味だったのだろう?

役者陣はガイ・ピアース、ピアース・ブロスナン、ミニー・ドライヴァーと有名所や、「エージェント・オブ・シールド」のフィル・コールソン役でお馴染みクラーク・グレッグや、映画X-MENシリーズで新しい方のストーム役のアレクサンドラ・シップが出ていたりする。
なので、ガンガンな演技合戦になるかと言えばそうではなく、皆が普段の生活の中の普通な人々を演じていて、演技でも非常に地味な感じ。

ガイ・ピアースが若い女性に妙にもてたけれど、ガイ・ピアースって二十歳前後の女性からしたらカッコ良く見えるモノなんだろうか?
映画内で階段を上り下りして鍛えていた場面はあったけれど、上半身が筋肉ムキムキで哲学の教授っぽくはなく、これはその抑え切れない性欲の象徴なのか、この筋肉ムキムキ感が若い女性を引き付けるという事なのか?

一方のピアース・ブロスナンは白髪白髭で、抑えた演技で見た目は上品な感じだけれど、腹がボテッと出ていて、この腹は役作りなんだろうけれど、どうにも腹と見た目はチグハグ感があった。
けれど、こういう静かなピアース・ブロスナンは良い感じ。

クラーク・グレッグは吹き替え版の「エージェント・オブ・シールド」でしか見た事がなかったので、地声を聞くと結構しゃがれていて、見た目以上に老けている感じがした。

この映画、ガイ・ピアースやピアース・ブロスナンで見ていられるけれど、じっくり描き過ぎている部分があって、初めに選択肢を出してしまっているので主人公がやった、やっていないのサスペンスとしては緊張感も、どうなるの?ハラハラ感もなく、そういう感じね…と常に盛り上がらないまま静かに終わって行く。
見終わっておもしろいかと言えばそうでもないけれど、おもしろくない訳でもないという映画。

☆☆☆★★

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