サイン

2018年08月26日 日曜日

M・ナイト・シャマラン製作・監督・脚本、メル・ギブソン主演の2002年のアメリカ映画「サイン(Signs)」。

グラハム・ヘスは妻の事故死で信仰を無くし、牧師を辞め、子供達と弟と共に田舎で暮らしていた。
ある日子供達が家の畑でミステリーサークルを見つけ、それを近所の悪ガキのいたずらだと思っていたが、その夜奇妙な人物が家の周りにいる事を見付ける。
やがて、テレビでは世界中の都市でミステリーサークルが発見されている事を放送し、謎の飛行物体も現れている事を知る。

M・ナイト・シャマランって、「シックス・センス」や「アンブレイカブル」が当たって、新時代のヒッチコック的な感じになっていたけれど、この「サイン」辺りから映画がすべり始めて落ち目な感じになった感じがする人。
で、その「サイン」なんだけれど、わたしは以前見た事があるはずで、宇宙人の侵略と信仰の回復の話だとは知っていて見たけれど、どちらも非常につまらなかった。
宇宙人の方はツッコミ所ばかりで馬鹿みたいだし、信仰の方も安っぽい。

宇宙人の方はツッコミ出したら切りがないけれど、恒星間航行して来る程の科学技術を持っているのにデカデカとしたミステリーサークルが無いとやって来れないとか、生身の宇宙人が直接斥候として見に来ないと相手を調査出来ないとか、大規模な侵略をするのに奇襲をかけた方が得策なはずなのにわざわざ一回地球人に自分達の存在を知らせてから、地球人に準備させる時間を与えてから侵略を始めるとか、あれだけの跳躍力があるのに木の扉も蹴り破れないとか、武器も工具も何も持たずに素手で侵略を初めるとか、宇宙人は自分達に水が危険な事を知らないとか相当下調べもしていないし、知っていたとしても裸で地球にやって来るとか、あらゆる部分で技術力の低さや馬鹿さしかない宇宙人に呆れてしまった。
多分、それこそH・G・ウェルズの「宇宙戦争」とか、19世紀から20初期の侵略モノのSF小説のオマージュ的な事をしたかったのだろうけれど、まだミステリーサークルが流行って面白がって色々作られた1980年代から1990年代にこの映画なら分かるけれど、2002年にこれだけ馬鹿みたいな宇宙人侵略モノは無いだろ…。
終盤の宇宙人が何も持たずに押し入り生身で地球人をさらおうとするとか、地球人に取り囲まれたので立ち尽くして何もしない宇宙人とか、あれだけ機敏に動いていたはずなのに全く動きもせず、抵抗もせずにバットで殴り殺される宇宙人とか、展開も馬鹿みたい。
この宇宙人の展開が主人公の信仰を取り戻す為だけのモノなので、そこに行き着く為にだけの都合が良いだけの展開でそこに合理性等無く、M・ナイト・シャマランのしたい事を好き勝手にしているだけ。

その信仰の方も、妻を事故で亡くして信じられなくなったとは出て来るけれど、メル・ギブソンのそこに至る思いがほとんど描かれないので牧師にまでなった人がそんなにあっさりなの?とか前提としてよく分からない上、全ての出来事が繋がっており、何かのサインだ!という展開も単に分かり易く意味深に伏線張って、それを最後に一気に回収する様に脚本作っているだけじゃん…と思ってしまった。
ここまで出来過ぎなサインの回収だと、それが奇跡だの、信仰だのと言われても、M・ナイト・シャマランの手のひらで回しているだけにしか思わないので非常に陳腐に思えてしまった。

M・ナイト・シャマランの思わせぶりなカメラワークは良いのだけれど、宇宙人がいるかもしれない…という思わせぶり所から、そのままあの宇宙人が登場してしまうと、思わせぶりなカメラワークが逆に陳腐にさせてしまっている様に思えた。

この映画、「シックス・センス」や「アンブレイカブル」だと、その伏線の張り方やあり得ない世界観も上手くまとめていたのに、このサインの宇宙人でしたかった古い宇宙人侵略モノはすべっているし、その為に荒唐無稽で出来の悪い宇宙人部分からの信仰の回復の話は響かないしで、宇宙人侵略モノをやるには信仰の話は必要だったか?と思うし、逆に宇宙人の侵略で信仰を取り戻す展開は陳腐になるし、この組み合わせは最悪だった様に思えた。

☆★★★★

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