バグダッド・カフェ

2015年07月24日 金曜日

パーシー・アドロン製作・監督・脚本、マリアンネ・ゼーゲブレヒト主演の1987年の西ドイツ映画「バグダッド・カフェ(Out of Rosenheim)」。

アメリカ旅行中に夫婦喧嘩をして砂漠に取り残されたヤスミン。辿り着いたカフェとモーテルのバグダッド・カフェに居座る事にし、そのバグダッド・カフェのやる気の無い女主人に疑われもしながら、ヤスミンが徐々にバグダッド・カフェと人々を変えて行く。

見る前の情報として、「昔、ミニシアター系映画として当たった」というのを知っていて、「だとしたら、多分わたしは退屈して駄目な映画だろうなぁ…」と思ったけれど、見てみると正にダラッと流れて退屈過ぎ、非常につまらない映画だった。

まだ終盤の出来過ぎた、都合良く店が繁盛がして行く展開はまだ盛り上がりがあるにしろ、序盤の特に何も無く、人物紹介にしても退屈な展開ですでに飽きてしまい、その後が全然続かない。
何も無い日常を描いているんだろうけれど、ドイツからアメリカに来て夫に捨てられ、帰りの旅券も持っているのに帰国もせずバグダッド・カフェに居続けるヤスミンの説明の全く無い意味不明な行動や、砂漠の中で全然人が来ていないのに営業し続ける店とか、特殊過ぎる設定の中で特殊な主人公の良く分からない行動を見せられてもずっと付いて行けないまま。

話も初めは何だか分からないまま見ていてしんどく、ヤスミンが掃除し出してやっと中盤で「ああ、この人のおかげでバグダッド・カフェが盛り上がる話か…」と分かり始めて、その後はそうなって行くので大して面白味も無い展開で、結局始まりから最後まで早送りで見てしまった。
序盤の物凄くゆったりとした流れの割に、終盤は振りも無く女主人のヒステリーは突然治まってヤスミンを受け入れたりする女主人の心変わりや、急にマジックだの歌だので盛り上がって、今までと比べると物凄く早い展開になる気持ち悪さもあるし、何の振りなのか分からない出て行ってけれど常に監視している旦那と急に仲が戻ったり、一方のヤスミンの旦那はどうなったのかとかは一切描かれないし、終始説明不足で都合の良さばかり目立つ脚本だし、終始乗り切れなかった。

演出も微妙と言うか、滑ってる様な…。始まりの夫婦喧嘩は、無暗にカメラ傾げて短いカットを入れる編集にしている時点で、アクションやサスペンスでもないのにやり過ぎた演出ですでに引いてしまったけれど、その後の時々入る色を付けた景観のカットは物凄く安っぽくし、最後の皆でお客との掛け合いまであるミュージカルみたいなショーや、あれ程怒鳴り散らしてばかりいる普通なおばさんだったバグダッド・カフェのブレンダが滅茶苦茶歌を歌い上げ、踊ったりとか、それまでの雰囲気をぶち壊してしまう不必要な場面とか、押さえるべき所で滑ってしまう演出にも辟易した。

この映画、バブルの浮足立ったのが頂点を迎えたバブル末期だとこの雰囲気は逆を突いてお洒落だったりしたはずで、この映画が受けたのも何とは無く分かる気もするけれど、今の衰退し続ける時代に見ても何だかなぁ…。始めから人生が落ちた所から機械仕掛けの神が現れて上手く行ってしまうという夢想なお伽話として受けるのかもしれないけれど、話も展開も演出も今見ると安っぽく、まったりとした雰囲気が好きでない限り特におもしろいモノは無い。
よく誰かが言う「芸術的映画」「文学的映画」という形容は、わたしにとっては「=退屈な映画・つまらない映画」にほぼ確定してしまっている。

★★★★★

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