瞼の母

2012年10月02日 火曜日

中村錦之助主演の時代劇「瞼の母」。

始めはヤクザ者のチャンバラ映画だったけれど、本題は母を思う息子の話。幼い頃に行き別れた母親を、中村錦之助が追い求める。

ただ、その主人公の中村錦之助は、顔も覚えていない母親を思い続ける優しくも哀しい人物として描かれているけれど、ヤクザ者で人殺しなので、そんな人でも影があったり、優しさがあるから良い人…とはならず、話には乗ってはいけない。昔っから、「悪い事している奴でも本当は良い人で、そんな人で感動して下さい!」という物語があるけれど、この手の物語は何ら響かない。どうしようもない不良が、雨に打たれた子猫を拾うという事位、全く感動も起こさず、どうでも良い。特に親と子の想いとすれ違いの話って、何ら共感も感激も無いので、やっぱりどうでも良い。

始めから最後まで、外の場面でも全て屋内セットなので、物凄い違和感。しかし、セットだけで映画が出来ると言う事は、逆に言えばこの1962年当時の映画界の繁栄っぷりは凄い。この画面はセットのなのに奥行き感が凄いある。江戸の雪景色や、雨模様は時間とお金を良くかけて作られている。そこには感心。

録音技術が良くないのか、何言っているのか聞き取り辛い。叫ぶ場面が多いのに、叫んだら何言ってるか分からない。台詞が聞き取り辛いので、何を行っているのかの理解に0.数秒かかるので疲れるし、話を追って行く気力が折れる。
あと、刀がぶつかってキンキンと効果音が鳴る時代劇もどうかと思うけれど、明らかに竹光で軽過ぎるチャンバラはお粗末。まあこの映画ではおまけ程度の扱いではあるのだけれど。

中村錦之助は泣かせる話にしてはどうも演技が大袈裟。やたら泣きじゃくるおっさんは何だかなぁ…。それまで母を思って悲しがってはいるけれど、カットが変わると突然まるで滝の様に涙を流しているので、ちょっと笑ってしまう。
松方弘樹が歳を取ってからの汗拭いている印象しかないので、若い坊や的な感じなのが物凄い違和感。このちょっと甘えた感じは、何か篠山輝信を思い出させる。
木暮実千代は若々しく、どう見ても中村錦之助が息子には見えないので、配役は失敗。実際中村錦之助とは一回り位しか離れていないので、やっぱり親子には見えない。

母子の愛情物語や、お涙頂戴の感動物語に対して、何らピクリとも来ないわたしは、「ふ~ん…。」で終わってしまう。見所は、この映画が全編セットである事で、相当作り込まれている事位。

☆★★★★

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