沈黙のテロリスト
2016年07月09日 土曜日アルバート・ピュン監督、スティーヴン・セガール主演の2001年のアメリカ映画「沈黙のテロリスト(TICKER)」。
アメリカでは劇場公開されていないビデオ映画の様。
捜査中に相棒を殺された麻薬捜査官のネトルズだったが、敵の一味と思われる女性を逮捕した。しかし、警察にはその女性を解放しないと何処かで爆発が起こると脅迫され、実際に爆発事件が起こった。
上司の命令を無視して捜査を続けるネトルズを助け、自分のチームに入れたのは爆弾処理班のグラスだった。
やがて、グラスはその爆弾犯がかつて自分が人質を殺してしまった立てこもり事件の犯人だった事を知る。
これまで見て来たスティーヴン・セガール映画はどれも酷いっちゃあ酷いけれど、その中でも最低に酷いのがこれじゃないかしらん。
脚本は適当な上、散漫。主演であるはずのスティーヴン・セガールが主役じゃない。低予算で仕上げようとした為に編集が酷い事になっている等、散々な内容。
始まりはスティーヴン・セガールがよく分からない理由で諦めた爆弾人質事件で、その数年後が舞台だから、その爆弾犯をスティーヴン・セガールが追い詰めて行くのかと思いきや、偶然その爆弾犯に出くわしたトム・サイズモアが主役となり、スティーヴン・セガールは大して出て来ない。
このトム・サイズモアの方は、かつて爆弾によって妻と子供が殺されている過去を見せるのだけれど、これが今回の事件の犯人と関連があるかと言えばそうではなく、この爆弾事件が何だったかのは一切描かれぬまま。妻子を失くしているなら別に爆弾ででなくてもいいのにわざわざ爆弾にしておいて、特に関連しても来ないという意味不明な脚本。
更に、この爆弾犯をデニス・ホッパーが演じているのだけれども、すでに「スピード」で爆弾犯を演じているので、「また?」という既視感ばかり。
この爆弾犯が、まだ「スピード」の時の様な人物ならば背景があって分かるのに、この映画ではただ単に爆弾を爆発させて人を殺す事が芸術家的だと思っている完全な行ってしまっている人で、まあ何も無い人物。
しかもこのデニス・ホッパーとスティーヴン・セガールの因縁を始めに見せておきながら、デニス・ホッパーとスティーヴン・セガールが対面する場面はほぼなく、最後もスティーヴン・セガールが何もしないままデニス・ホッパーは爆死という、だったら何で初めに因縁を見せたんだ…?という酷さ。
で、このデニス・ホッパーが退場した後も爆弾話が続いて行き、じゃあこれまでのデニス・ホッパーは何だったの?だし、結局女性はどうなったのだし。
爆弾処理班のスティーヴン・セガールの仲間も活躍して役が立って行く様な雰囲気はあるものの、ほぼ活躍のないまま死んでしまう人はいるわ、何時の間にかいなくなっているわで、まあ登場人物の無駄さったらない。
話は終始デニス・ホッパーが好き勝手に爆弾爆発させるだけで、警察側の攻勢もないまま振り回されて、勝手にデニス・ホッパーが死んでしまうという全く面白味の無い展開でグダグダしっぱなし。
何より酷いのが編集。
この映画は爆弾魔が中心となっているのに、その爆発場面はほとんど何かの映画やジャンクフィルムや資料映像らしきものから持って来て繋げただけになっている。
なので、一番初めの立て籠もり事件では、その場所は結構大きなお屋敷だったはずが、爆発しているのは田舎の小屋っぽい所だったり、スーツケースに入れた爆弾が爆発すると周囲の一区画程も瓦礫の山となるトンデモない破壊力の小型爆弾になってしまっていたり、犯人の乗っていた自動車が爆発したはずなのに全然違う場所に止めてあるパトカーがいなかった警察官と共に爆発したりとか、もうそれまでの場面とは関係無くしてしまう適当な編集。
終盤ではそれが頻繁に起こり、突然何処かのレストランかホールの様な場所でパーティーを開いているの場面が出て来るのだけれど、これが何なのかもよく分からない。市庁舎が新たに建設されたという話ではあるのものの、この会場が皆ヘンテコな仮装っぽい格好で音楽かけて踊っているので、どう見ても市庁舎の新築記念には見えないし、終始はてなばかり。
最後の一番盛り上がらせようとすべきスティーヴン・セガールとトム・サイズモアのダブル爆弾解除の場面も、トム・サイズモアの方は「爆発まであと十分だ!」と言っているのに爆弾に表示されているタイマーは残り一分で、再びトム・サイズモアの場面になるとそのタイマーの数字が増えているという酷い編集。
更にその爆弾がもう直ぐに爆発しそうでトム・サイズモアが慌てていると、突然スティーヴン・セガールが自分の人生観や生死観を長々と演説し始め、結局爆弾の素人であるはずのトム・サイズモアに二本ある線の内、切るべき線を好きな方切らすという無茶苦茶で理由も理屈も無い酷い解除方法で解除してしまう。
一方のスティーヴン・セガールの爆弾解除の方法は、スティーヴン・セガールが黙って爆弾の中に手を突っ込んで何かして解除してしまい、爆発が迫っている緊迫感とか、罠があって解除が難しいのかどうなのかさえ何も分からないまま解除してしまうと言う、これまた酷過ぎる幕切れ。
スティーヴン・セガール映画お馴染みの自分はほとんど動かず手足をバタバタさせるだけのセガール・アクションは、酷い時は明らかにスタントマンが演じて、あとは短く編集してスティーヴン・セガールのアップを挟んで行くという省エネアクションだけれど、この映画ではその更に下を行き、スティーヴン・セガールの顔のアップ以外は多分スタントマンであろう人の手足を動かしているアップばかりで、この映画ではスティーヴン・セガールは実際にアクションしていないんじゃないかしらん?と思える究極の省エネアクションが展開される。
ただそれも、スティーヴン・セガールのアクション自体が最終盤まで全然無いのでアクション自体を省いているし。
敵がスティーヴン・セガールがまだ気付いていない背後から銃を構えて近づいているのに、わざわざ「おい!」と声をかけて、当然スティーヴン・セガールが気付いてボコボコにされてしまうという場面は流石に完全コントで度胆を抜かれたなぁ。
この映画、スティーヴン・セガール映画にデニス・ホッパーとトム・サイズモアが出ているという珍しい映画ではあるものの、内容的には脚本は酷い、それを超える程編集が酷過ぎ、話は登場人物が何かある風なのにそこを全然掘り下げず役者の無駄遣い等々、まあクソ。
スティーヴン・セガール主演なのにスティーヴン・セガールが終盤まで全然活躍しないというのは最早どうでもよく、ここまで設定や役者等のお膳立てがありながら、それらを全て台無しにしたクソみたいな酷い映画。
特に何処からか持って来た前の場面と繋がりの無いカットや、これは敵なのか味方なのか、誰が何をして何がどうなったのかもよく分からないカットを無理矢理連続で繋げたり、さっき見たぞという同じカットの使い回しがやたらと出て来る終盤なんて無茶苦茶。
★★★★★