ラ・ワン

2014年12月11日 木曜日

アヌバウ・シンハー監督・原作・脚本、シャー・ルク・カーン主演の2011年のインド映画「ラ・ワンRa.One)」。

ゲームを開発するシェカル・スブラマニアムは息子と上手く行っておらず、息子が「悪役が好き」と言った事で悪者ラ・ワンを大々的に取り上げた新作ゲームを作った。しかし、そのゲームからラ・ワンが現実に飛び出して来て、良い者であるGワンも現実に出て対決する事となる。

この映画の粗筋「ゲームの中の人物が現実世界に出てしまう」という部分だけで知って、「多分、子供向けなんだろうなぁ…」と思っていたら、それ以下の酷い映画だった。構成は継ぎ接ぎした感じの様で統一感が無く、主になるSFの設定部分は説明無しの無茶苦茶やり放題で、監督に脚本も書いているアヌバウ・シンハーの好きな事を詰め込んでしまったオナニー映画を見せられてしまった感じでゲッソリ…。
構成は、前半の一時間位はベン・スティラーとか、ジム・キャリーがやりそうな「ちょっとネジの外れた父親で何をしても失敗ばかり。そんな父親に愛想を尽かした幼い息子と、何故かそんな彼を愛している母親」という、ハリウッドでも有りがちなホームコメディ。ゲームを作ってはいるけれど全然そこでは話が進まない…と、思ったら、突然父親が死亡し、無茶苦茶なアクション映画になってしまう。かと、思ったら、現実世界に馴染めていないゲームの人物Gワンのコメディになり、今は亡き夫と瓜二つだけれど別人のGワンと母親との恋愛話になったかと思ったら、やっぱり真面目なアクションモノになるという雰囲気の統一感など無く、終始したい事だけで構成されて、何処へ行きたいのか分からないブレまくった展開ばかりで、頭が付いて行かずクラクラして来る。
そして、この映画で一番酷いのがゲームのキャラクターが現実世界に出て来るというSF部分の設定。散々凄いゲームが出来るらしい…という感じで引っ張っていたけれど、実際出来たゲームはキャラクターがたった二人だけの対戦格闘ゲームで、しかもコントローラーを使わず、体に特殊なスーツを着てその動きを感知してゲームのキャラクターも同じ様に動くという、キャラクターの動きはプレイヤーの動きに依存しているのでプレイヤーがジャッキー・チェン以上のアクロバティックな格闘技術で動き回らないといけないというスタントマン養成ゲームみたいな無茶苦茶なゲーム。実際作中では、トンデモない動きをしたからゲームとして成り立っており、子供が買って動いた所で全く敵に勝てないだろうと思える、格闘技超上級者のみ向けのゲームだったりする。更に単なる対戦格闘ゲームなのに、何故か敵のキャラクターであるラ・ワンがプログラム以上の力を持ってしまい、現実世界に出て来てしまう。対戦格闘ゲームのキャラクターをトンデモない独学力を持った人工知能で開発する意味も全く意味は分からないけれど、その現実化は、どうやらこのゲーム会社では他の部門らしい部署で、空中に溢れている色々な電波とかを使って、見えない光線?で空中に映像を投影し、触ったりも出来る物質化?を実現したらしく、何故かその技術をラ・ワンが使えて、このゲームの発表会用に作ったゲームキャラクターの等身大人形に憑依?して、現実世界で動き回る事となる。なるんだけれど、この人形、普通は発泡スチロールとかウレタンで人型の形だけ作るもんだと思うのに、ラ・ワンの何かが入ると何故か全身の人間の関節と同じ部分が稼働し、目の辺りからカメラで見ている様な映像まで出て来る。発表会の為にわざわざ人間と同じく全身が稼働する高価な人形を作ったという事なの?人形だったはずが、攻撃されてバラバラになると、何故か光る小さな立方体に分散し、やがて集合すると元に戻る。これ何?人形の元の部分は何処行ったの?とか、そもそも人形に憑依って何が?どうやって?等々、ラ・ワンの現実世界への登場に関する諸々は劇中での説明が一切無いので意味不明な事ばかりで、付いて行けず。
更にラ・ワンは人間に変身出来る能力も持っており、シェカルの同僚アカシさんに変身するんだけれど、変身した次の場面ではゲーム中のラ・ワンの姿に速攻戻っていたり、前半はラ・ワンはアカシさんに変身していたのに、後半になると急にアカシさんとは別人のムキムキな男前になってアカシさんには一切変身しなくなるしで、変身も意味不明な事ばかり。これって、単に役者の都合で前半と後半で変更しただけなんじゃないの…?としか思えないんだけれど。
それに、Gワンには何故かシェカルの記憶がデータとして残っているんだけれど、それってシェカルが自分の考えを何故かゲームキャラクターに入れ込んでいたという事?何の為に?
この二人、手から謎の火球?電球?を放出して、それがぶつかるとバンバン爆発するのだけれど、これも何なのか不明。

話は酷いモノだけど、アクションは結構良い。イギリスの道路を人間以上の早さで走るアカシさんとか、走る電車の側面を飛び移りながら移動するGワンとか、見ていてもCGとか合成っぽくなくて「え、実際にやっているの?」と驚くアクション。これ、エンド・クレジットでメイキングも一緒に流れるのだけれど、そこで本当に道路を走っていたり、走る電車の側面を飛び移っていたりするので驚いた。この発想と見せ方は非常におもしろい。
ただ、パロディと言えば聞こえはいいけれど、「ターミネーター」や「マトリックス」、「アイアンマン」等の映画で見た事ある様なアクションや演出をそのままやってしまっている所も多く、流石に2011年にそれは無いんじゃないの?と思ってしまう。特に実際に演じている部分ではなく、CGや合成部分ではそう思えてしまう。

あと、分かり難いのが言葉。インドの映画なのでヒンディー語と英語で混じって喋っているのだけれど、インドの観客ってこのゴチャまぜな言葉でもすんなり入って来るのだろうか?始め、英語とヒンディー語で喋るのでてっきりインドが舞台だと思っていたらイギリスだった事を大分後から知って驚いたし。

未だにインド映画って、必ず歌と踊りの場面が入って来るけれど、これってそんなにいるのかしら?わたしは元々ミュージカルが非常に苦手な事もあるけれど、この映画では別にいらんのじゃない?前半と後半に旦那が奥さんに愛を歌って踊る似た様な場面があるのですっごい既視感。
ただ、歌は非常に良い。部分部分では音楽的に欧米っぽかったり、その音楽に英語の歌詞で歌っていると相当欧米化されてして大しておもしろくないのに、ヒンディー語?の歌とインド的な音楽の部分は聴き慣れない事もあってか非常に新鮮だし、この旋律や言葉の乗せ方が非常に興味深く、楽しい。ミュージカルが苦手だけれど、逆に全然話も無く、歌って踊るだけのインド映画だと好きかもしんない。

それと、この映画の一番の謎がアカシさん。名前からして日本人っぽいのだけれど、あだ名がジャッキー・チェンだけれど「中国人全員がジャッキー・チェンじゃないって言ってるだろうが!」とぶち切れる人で、登場した母親を見ているとどうやら中国系らしい。ジャッキー・チェンと呼ばれて異常に切れる人なのに、功夫?演武?はジャッキー・チェン以上にキレッキレ。まあ、皆ジャッキー・チェンって呼ぶだろ…。なのに名前はアカシさん。これってインド人の何かのジョークなのか?さっぱり分からない。そんなキレッキレに凄いアカシさんなのに、ラ・ワンには一瞬でやられてしまうし、ラ・ワンがアカシさんに変身して同僚が襲って来る不条理さを出すのかと思いきや、シェカルの前ではラ・ワンのままだし、アカシさんに変身したラ・ワンも前半でお終いだし、やっぱりアカシさんって何?

途中のインドにやって来た場面で、行き成り知らないおっさんが大々的に現れて「何?」と思っていたら、Gワンと同じ様な機械の人みたいな感じで「?」。急に現れた理由も分からないし、後で何かに絡んで来るのかな?と思ったら、それ以後一切出て来ないので意味不明。意味不明なので調べてみたら、同じインド映画の「ロボット」のラジニカーント演じる主役チッティだったと分かった。分かったけれど何で出て来たの?何の関係があるの?調べても更に意味不明なだけ。あれか、日本の映画でもある「有名人を意味も無く出して、他の映画と関係ある風にしているカメオ出演」なのか?スタン・リーみたいな登場なら意味も分かるけれど、凄い身内受けが嫌。

この映画、最近ではインド映画界も「ボリウッド」としてアメリカ映画界でも持てはやされている様だけれど、流石にこんな出来の悪い映画じゃ世界で話題沸騰にはならんだろう。観客に向けた説明とか整合性とかを省き、単に金かけて監督のしたい事を詰め込んだだけの映画じゃなあ…。ただ、この監督、アクションは良いので、一切設定や話関係には手を触れささず、アクションだけの映画を作れば相当凄い映像にはなると思うのだけれど。

☆☆★★★

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