暗くなるまで待って

2014年12月06日 土曜日

テレンス・ヤング監督、オードリー・ヘプバーン主演の1967年の映画「暗くなるまで待って(Wait Until Dark)」。
フレデリック・ノットの舞台劇が原作。

サム・ヘンドリクスは空港で見知らぬ女性から人形を押し付けられる様に預からされた。この人形には麻薬が詰められており、麻薬を取り返そうと三人の犯罪者がサム・ヘンドリクス家に押しかけるが人形は見当たらない。やがてサムの盲目の妻スージー・ヘンドリクスが帰宅し、犯罪者達はサムの友人だと偽り、彼女から人形の在り処を聞き出そうとする。

どうしてもオードリー・ヘプバーンに注目が行くけれど、この映画は元が舞台劇だけに脚本で見せ、緊迫感と興奮の連続で目が離せなかった。
主要登場人物は六人(夫がほとんど出てこないので五人)だけで物語が進み、全ての人物達が事件に嫌々ながら巻き込まれてしまい、ほとんどが主人公のアパートメントの一室で展開されるという正に舞台劇。それぞれの人物は個性が際立ち、各人が必要とされる役割を持って登場するので過不足が無く、脚本も全てが振りになっているのも上手い。
主人公は近頃事故で目が見えなくなり、その目が見えていない事を犯人達が利用して彼女を騙しながらも人形の在りかを聞き出そうとし、優しく接していて相手は実は悪人という事に気付いていない緊迫感から、その怪しさに徐々に気付いて行く恐怖を引き出し、更に終盤での見えていない事を利点とした主人公の反撃に繋がって行き、主人公の設定を全活用している上手さに感心。最後の闇の中の真っ暗な場面はその設定を最大限に活かした演出だし、サスペンスとしての緊迫感も半端無い。これは映画館で見ると本当に真っ暗になるという効果もあるし、英語圏の映画館だと字幕も無く、真っ暗な映像の中から声だけが聞こえるのだから、この映画は字幕で見るべきではない映画。字幕があると効果も半減。

脚本での振りも上手く、結構出て来た「冷蔵庫の霜取り」は、中盤では「目が見えなくても何でも出来る様にしたい独立心の表れなのか…。」と思っていたら、最後の暗闇を作ったのに相手に光を持たらしてしまうガジェットとして使われたり、グロリアと主人公が喧嘩したのは余り好き合っていなかったのに喧嘩して少し打ち解けあい、その後の重要な協力者となるべくの振りの喧嘩でもあるけれど、その後の水道管を叩いて合図をする為のスプーンや、致命傷を負わせるナイフがある事の振りになっていたり、何気無い出来事や道具さえもその後に活かして来るとは感嘆。

非常に上手い人物設定や展開の脚本なんだけれど、この「目の見えない主人公のサスペンス」という設定に持って行く為に少々強引な所もある。この設定ではどうしても人形が全く関係無い主人公の下に来なくてはならないので、始まりの運び屋の女性が全くの無関係の男性に大事な人形を渡してしまう理由がどうしても釈然としないまま。それに、首謀者のハリー・ロートにしろ、二人組にしろ、殺しも厭わない悪人なのに、主人公を手っ取り早く捕まえて脅して在りかを突きとめれば主人公だって関係の無い人形だから簡単に渡すだろうに、物凄く手の込んだ騙しの筋書きを作り出して、何度も何度も部屋に訪れて結構面倒くさい事をしているのもちょっと無理を感じてしまう。ハリー・ロートなんか危ない奴なのに、何度も御丁寧に変装までしているのだから、お前は一体何者なんだ?と。

それに気になったのはの演技。オードリー・ヘプバーンは若い時からか細かったけれど、この映画ではギスギスする位の細さで、それはまだ目が見えなくなってからそれ程経っていない慣れない日々の生活の心労から来るモノという感じはある一方で、物凄く芯が強く、真っ直ぐ生き様としている感じもあって、非常に役にはまってはいるけれど、叫びの演技がちょっと過剰。当時の映画の怖さを表す演技としてはそうなのだろうけれど、今だとちょっとやり過ぎに見え、B級ホラーの若い女優の演技っぽく見えてしまう。堪える演技は非常に良いけれど。

この映画、オードリー・ヘプバーンの映画としても彼女が本格サスペンスで輝く映画でもあるけれど、サスペンス映画としての展開も一級品。上手い設定、上手い脚本、上手い演出で最後まで一気に見せ切る。50年近い前の映画だけれど、今見ても相当おもしろかった。

☆☆☆☆★

« | »

Trackback URL

Leave a Reply