初春狸御殿

2015年11月20日 金曜日

木村恵吾監督・脚本、市川雷蔵主演の1959年の映画「初春狸御殿」。

カチカチ山の狸の娘お黒は偶然にも狸御殿に来てしまった。狸御殿は家計が苦しく、隣国の若殿狸吉郎ときぬた姫の見合い話が進んでいた所だったが、きぬた姫が結婚を嫌がり家出をしてしまった。困った狸御殿の人々は不審者として捕まえたお黒がきぬた姫とそっくりだった為に身替わりとして姫に仕立てて狸吉郎との見合いを進める。狸吉郎はお黒を気に入った所にきぬた姫が帰って来る。

市川雷蔵が出ているので、それだけで何も知らずに見たのだけれど、始まりで娘が狸だという所で「何だろ、この映画?」と疑問。その父親の元に行くと、人間の体だけれど顔に茶色と白で化粧しただけなのに、それが狸を表しているらしいという所で更に「??」。後ろに流れる音楽で場面や心情を歌っていたのが、勝新太郎が登場したらミュージカルになり、更に「??」。ずっとこの調子で、訳の分からないまま続き、ずっと置いてけ堀。
舞台での歌劇を映画にしたのだろうけれど、狸の化粧をしているから狸とかは安っぽいだけで、全然おもしろくない。
主演の市川雷蔵は始まって30分位しないと登場しないし、主演の市川雷蔵の出番が少なく完全に脇役でお黒が主人公だし、中盤の市川雷蔵登場以降10分15分は延々と民謡に合わせて市川雷蔵が踊り続けるだけというミュージカルでもない踊りの場面の連続で飽き飽きして来る。
元々わたしはミュージカル映画が大嫌いだけれど、それにしてもこの映画は内容はペラッペラな薄さで、延々と踊りを見させられるのは辛かった。話が展開するのは序盤と終盤位で、中盤はほぼ歌と踊りで配分が悪過ぎる。それに、時代劇だからずっと歌は民謡や童話だったのに、急にムード歌謡を歌ってしまうし。和田弘とマヒナスターズまで出して、何で時代劇でムード歌謡を歌うのか、さっぱり分からない。
話も、歌と踊りで水増しされまくっているのでうっすうすな上、それまでご陽気なワチャワチャした雰囲気だったのに、終盤でお黒が姫の身代わりになって父親に切られるというお涙頂戴の教訓譚になり、「お黒が死んでまとめる話なのか…。」と思ったら、「実は死んでいませんでした!本当の姫と狸吉郎が結婚しました!」という説明すっ飛ばした急展開で行き成り終わるので、「なんじゃこりゃ?」な酷さ。

ただ、セットは豪華。当時の黄金時代の日本映画が見て取れる、ほぼ全編スタジオ内でセットを組んでの撮影で、今だと考えられない手間とお金のかけ様。全編セットなはずだけれど、しかし何故か一場面だけ外の場面があって、そこは意味が分かんない。それに、終始結構前衛的で抽象的なセットなので、踏んだらへこんで音の鳴る階段とか「それ、何?」な物が多いし、中盤でさえ「また、新しいセットね…。」とこれも飽き飽きして来る。

役者は当時の役者の格から市川雷蔵が主演なんだろうけれど、主演は確実にお黒ときぬた姫の二役の若尾文子で、彼女のそれぞれの役の雰囲気の違いは素晴らしかった。お黒の素朴で良い娘と、わがままで気の強いきぬた姫が別人にしか見えなかった。
一方の市川雷蔵は大して印象には残らず。そういう役柄だとはいえ、終始精気の無い、どこ見てるんだろう?と思わせる気の無い顔が怖かった。

この映画、わたしは舞台での歌劇を映画化したオペレッタ映画とは知らず見たので「なんじゃ、こりゃ?」だったけれど、ミュージカル映画だと分かって見ても微妙だと思う。結局何のこっちゃな終始スカスカした話と、民謡の連続はどれも似た様な感じなのに、それが何度も何度も続けて出て来て配分の悪過ぎる歌と踊り。始まって30分位はなんとか集中力は持ったけれど、市川雷蔵登場以降はもう駄目だった。

☆★★★★

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