夫婦善哉

2012年10月08日 月曜日

森繁久彌、淡島千景共演の1955年の映画「夫婦善哉」。

芸者の淡島千景と駆け落ちした森繁久彌は勘当され、暮らしに困る。それでもどうしようもない最低な彼を支え、日々をやり繰りする一途な淡島千景。

良い話風だけど、いい所のぼんぼんでわがまま、性格最悪の駄目男に尽くす一途な女性の話で、馬鹿二人のグダグダした暮らしを見せられても…というのが先に来てしまい、別に良い話でも無い。全然入って行けないのは、何で淡島千景がそんなに森繁久彌に惚れているかが一切描かれず、そういうもんだからという前提で話が進んで行くから。二人の強い絆の理由が分からないので、二人を見ていても置いてけ堀。
駄目な男に尽くす女性というのは今でもあるけれど時代が時代なので、この二人の話は見ていても古臭さしか感じない。なので、「こんな事もあったんだろうなぁ…」以上の共感性が出て来ない。
あと、題名にもなっている「夫婦善哉」なはずなのに、最後まで夫婦善哉は一切映さないという訳分からない演出は一体何?

この映画の劇中の時代は1932年なのだけれど、皆が喋る大阪弁はこの昭和初期のモノなのか、製作された50年代の言葉なのか、どっちなのだろう?老若男女誰もが上方落語の様な古い大阪弁、しかも現在の師匠集が話す古い大阪弁で、「あんさん、~やさかい」「わてだす」「~まんねん」とか、現在じゃあわざと強調した偽大阪弁か、作り物以外ではまあ聞く事の無い廃れた大阪弁。「けなり、けなり」とか、意味が分からない言葉も。
落語でしか聞いた事の無い、金魚売が「金魚~や、金魚~」と声を上げて道を歩くのが出て来て、驚きと関心。そんな当時の日々の生活や、文化、風俗、町並み等の部分での関心は非常に高い。ちょっとした事でも感心して見ていた。

森繁久彌は、大阪人の田舎者だと認めたくないからの東京に対する悪口だったり、他人を攻撃して自己保存を図る卑屈な精神が出ていて、今見るとある意味カリカチュア的人物だけれど、それでも煮詰めた様な如何にもな大阪人を非常に良く演じている。演技は上手いけれど、しかしまあ、見ていても嫌悪感しか感じない役ではある。大阪のおっさんや、いちびりな若者を見ている感じで、非常にうっとおしい。淡島千景が泣きそうな位一途で可愛い分、「こいつ、不幸になってさっさと死なないかな?」と思ってしまう。
淡島千景は物凄い美人。雰囲気や体型的にも現代の美人女優よりも綺麗かもしれない。それに31歳には見えない子供の様な無邪気さもあり、喋りや仕草とか、物凄い可愛い。古い大阪弁ではあるけれど自然な話し方だし、普通の動きだし、演技は今見ても非常に上手い。今更ながら淡島千景は本当に良い女優だったのだなと思う。
他の役者も皆自然な、普通の人の演技で上手い。時代劇なのだけれど時代劇的嘘臭さが無く、現在のドラマや映画の様な窮屈な作り物感も無く、その演技と演出の部分はすんなり入って行ける。

「夫婦善哉」とは銘打っているけれど、ほぼ淡島千景の一途な想いの話。じっとりした男女関係はじっとりし過ぎで、劇的に何かが起こったり変わったりする訳でもないのに二時間あるので、段々面倒臭くはなって来る。森繁久彌がどうしようもない上、一番イラッと来る大阪人の集合体の様な人物で、淡島千景の余りに可愛過ぎる役と演技で、ずっと「淡島千景がんばれ!」。結果、今年亡くなってしまった淡島千景に惚れた映画。

☆☆☆★★

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